NEW

トップページ | 目次 | 著者のページ | ご意見・ご感想はこちら

item8 item9 item4a item11 item12 item13 item10
第 四 部

 

策 略 ( 続 き )

 

 

「項王が死んだことで」

 

 韓信の口調は、暗い。頭の中に散乱する思いを必死に体系化して言葉にしていくために、すらすらと口から言葉が出てこない。

 しかし、かえってそのことが聞いている側の側近たちにとって、一言一言の重みを感じさせる。

 そして、いかにも自分たちが陰謀をはかっているようにも思えてくるのだった。

「秦末からの楚漢興亡の歴史は終わりを告げた、と考える者は多い。しかし……私はそうは考えない。状況は、楚が滅び、漢が大陸を統一したというだけで、秦が漢に変わっただけのことだ。単に支配者が変わったというだけのことだ」

「しかし、秦の政治は腐敗していました。変わるだけの理由はあったと思われます」

「政治の腐敗があったのは確かだ。しかし、単に腐敗していただけだとしたら、腐敗の原因を取り除けばいい。すなわち腐敗の元凶であった宦官の趙高を殺し、天下の良識家を採用し、二世皇帝をもり立ててやればよかったのだ。しかし、秦が滅ぼされたのは腐敗が原因ではなく、もっと根本のところが原因だ。腐敗以前に問題があったのだ……法で人々は身分を定められたのが秦の政治の特徴であったが、その法は支配階級のためのものであり、被支配者である民衆にとって、法は弊害でしかなかった。これが秦の滅んだ最大の原因だ」

「…………」

 

 側近たちは韓信の話に聞き入る。韓信はいったん口をつぐんだが、それは側近たちの反応を知りたいからではなく、やはり自分の考えを整理しようとしているからであった。

 側近たちは、それを知り、あえて口を挟もうとはしない。

 

「大沢郷で決起した陳勝は、後世まで伝わるであろう名言を残した。『王侯将相、いずくんぞ種あらんや』……王侯や将軍・大臣、どれも皆おなじ人である。家柄や血統などによらず、自らの才覚でその地位を得ることが、誰にでも可能なのだ、と。一連の楚漢の興亡が革命と呼べるものならば、私はこの陳勝の言葉こそが、今後の活動方針を示す綱領と言えるものだったと思う」

 

 テーゼだったと言うのである。韓信の言葉は、古代における革命論であった。

 

「陳勝は王侯の存在を否定したわけではなく、それが家柄や血統で継承されることを拒んだ。才能や努力で成功をつかみ取る社会を夢みて、それを言葉にした。その言葉に同調した群雄が乱を起こし、中原は革命の場となったのだ。しかし、漢によって統一された現在の社会は、陳勝が望んだ形とは違う。才能を持ち、かつ多大な貢献をした諸侯は劉姓を持つ血族に取って代わられ、血族は世襲でその地位を確約されている。皇帝は至尊の地位とされ、神仙と同様、あるいはそれ以上の存在となり仰せた。そしてやはりその地位は世襲され、血族による支配が続いていく……。春秋時代の氏族社会の復活だ。劉一族による独裁体制の確立。陳勝の唱えた才覚や努力で地位を得る体制が生まれる余地は微塵もなく、その意味で革命はまったく完成していない。時代は逆戻りしている、と言えるだろう」

「ですが……皇位が血統で継承されないことになると、常に天下は戦乱の危険に晒されます。そのことをどうお考えで?」

「そこまで知るか。私に出来ることは……良くない体制を武力でぶち壊すことだけだ」

「では、皇帝と戦って勝ち、淮陰侯自ら皇帝を称すのではないのですか」

「私は……憚りながら言うが、自分のことを優れた武将だとは思っている。しかし、古来優秀な武人が同時に優秀な統治者であったことは稀だ。私もその例に違わない。経験があるから言えることだが、どうも私には統治者としての才覚はなさそうだ」

 

 それでは後に混乱の種を残すだけではないか……。

 側近たちはそのように思い、韓信自身もそう考えた。

 しかし自分が皇帝に勝てば、才覚ある者を市中から選び、政務を執らせることが出来るだろう。その者の才覚次第では、玉座に座らせることも考えてもいい。

 韓信はそう思い、語を継いだ。

「皇帝が態度を改め、才覚に応じて人材を適所に置けば、私としても剣を収めるつもりはある……しかし、期待できないだろう。あの方は、お変わりになられた。旗揚げ当時の度量の深さはすっかり影を潜めてしまった。その昔、あのお方は臣下の額の汗を拭き、同じ食事を勧め、同じ車に乗せるほど、厚く遇した。それがあのお方の度量の深さであったのだが……今やあのお方は過去の自分の度量を悔いておられる。臣下に与えた領地を取りあげ、ことあるごとに約束を違える。人として許されるべき行為ではない」

 韓信がそう言って座を外したところで、側近たちは互いに小声で語り合った。

 

――我らが主君は、お若いのに落ち着きのある方であると思っていたが……意外に青臭いことも言うものだな!

 と。

 しかし、彼らの多くは主君たる韓信を敬愛していたし、彼の言うことならば疑わずに従う者が多かった。親衛隊として以前から韓信に従っていた者たちは、特にそうである。

 

 だが、一部にはそうでない者も存在した。

 新参者の中には直接に韓信の武勇を目にしたことがなく、過去の劉邦と韓信の関係についても知らない者が何人かいたのである。

 

 つまり、側近たちの中には韓信が好きで従っている者と、ただ運命の流れのままに従っている者とが混在していた。このため彼らの忠誠の度合いもさまざまであり、その結果、一枚岩となれなかったのである。

 

 

 皇帝が親征を開始し、函谷関を出たことを確認すると、韓信は行動を起こした。夜中に獄を訪れると、彼は強い口調で獄吏に通達した。

 

「勅令である」

 獄吏はその言葉を聞くと、跪いて畏まった。

 韓信は兵を強奪するにあたって、皇帝の権威を利用したのである。

 

「皇帝陛下は親征なされたが、斥候の情法によると謀反人陳豨の勢力は八十万に達することが判明した。陛下の軍は精鋭であるが、数においては陳豨の軍がやや勝る……。そこで陛下は私に、諸官庁の囚人労務者を解放して兵となし、しかるのち参軍せよ、と命じられた」

「ははっ!」

 

 この種の論調で韓信たちは市中にあるいくつかの獄から囚人を駆り集め、急造の軍とした。

 次いで武器庫に侵入し、同様の論調で倉庫番の小役人を説き伏せ、武器を調達した。

「武器の携帯は必要最低限にとどめよ。戟や鉾をいくつも集めたとて、訓練もしていない囚人たちには、うまく扱えぬ。彼らには弩を用意するのだ!」

 弩は引き金を引くだけで発射できる。さほど腕力がいらず、命中精度を高めることも弓に比べると容易であった。

 韓信が得た兵はほとんど軍事的には素人同然だったので、この種の武器が入手できたことは幸運であった。

 

 兵たちに武器を与え、かつ鎧や甲などの装備品を支給すると、韓信は囚人たちに恩賞を約束した。

「私がこれからやろうとしていることは、いわゆる謀反だ。しかし、謀反は成功すれば謀反ではなくなり、革命と呼ばれるようになる。だからくれぐれも悪事を働くような意識では臨まないでほしい。君たちは、半ば強制的に私に協力するはめになった。もちろん成功後の報奨は十分にする。生涯にわたって賦役を免じ、能力のある者には政治にも関与させよう。金品も存分につかませる。……だがそれは、すべて終わってからの話だ」

 

 囚人たちは自分たちがどのような立場に立たされているか、即座には理解できなかった。しかしやがて、

「名に聞こえし淮陰侯様と行動を共にできることは、我々には望外の幸運。道を誤り罪人として獄につながれた我々ですが、まっとうな道に戻れる機会をお与えくださったことを感謝いたします」

 という内容のことを口々に言い、韓信への臣従の態度を明らかにした、という。

 

「うむ。心強い言葉だ……。君たちが過去にどのような罪を犯したのか、私は知らない。君たちがどの程度私に忠誠を捧げてくれるのか、私にはわからない。だが、ことは急を要する。私は君たちを信用し、恩賞を約束した。君たちは恩賞につられて謀反に加担することになるが……自信を持って行動してほしい。決して利を追及することを気に病むな。君たちが生き延びて恩賞に授かりたいと望む心こそが、私を勝利に導く。生き延びて瀟洒な暮らしをしろ。豪勢な食事にありつけ。飽きるほど贅沢三昧をせよ。無欲な者は生き残ることができぬ。そして生き残る者が少なければ、我々は敗れるのだ」

 韓信は心ならずも、囚人たちにそう訴えた。当てにならない忠誠心よりは、短期的には欲を喚起した方が効果的だと考えたのである。

 

 韓信は囚人たちを要所に配置し、時期を待った。皇帝の軍が陳豨の軍と戦端を開くのを待ったのである。対外的には四日後に長安を出発し、皇帝の軍に合流する、とした。

 

 朝廷もそれを疑わず、計画は成功するように思われた。

 

 

 韓信が長く抱えていた問題が解決したのはちょうどその頃であった。

 淮陰からあがってくる租税の額があわなかった問題である。

 真相は、帳簿の記入を担当していた家令の横領であった。

 

「この忙しいときに……。ひとまず、獄に繋げ。殺してしまいたいところだが……囚人を兵として雇っておきながら、彼だけを死罪にするわけにもいかん」

 

 沙汰を後回しにして、当面の問題に集中するつもりだったのだろう。

 しかし韓信はどちらかというと潔癖な性格だったので、この種の悪事に対して決して寛容な男ではなかった。

 兵とした囚人たちには利を追及することに気後れするな、という内容のことを言ったくせに、本心ではそのような人間のうつろいやすい心が許せなかった。この時代に韓信を知る者たちは、彼がこの種の問題に厳しいことを皆知っていたのである。

 

 そのためこの家令も死を覚悟した。

 

 罪を犯した家令には弟がいた。

 兄弟ともに韓信が楚王となったときに初めて仕えることとなり、いずれも戦闘の経験はない。

 彼らは、韓信が彭城の西で項羽を撃退したことも、兵書にとらわれない策を用いて井陘口で大勝利を得たことも知らない。

 さらには大国の斉を制圧した栄光の陰に酈食其を失ったという悲劇、劉邦に義理立てをして出兵しようとした結果、愛する蘭を失ったこと、それらすべてを知らなかった。

 

 知っていたのは散文的な事実のみだけであった。

 かつて斉王を名乗り、その後は楚王となったが、友人という理由だけで楚将の鍾離眛を匿った結果、降格されて現在は淮陰侯に留まっている、という事実。

 

 どうやら自分たちは朝廷に睨まれている人物に仕えているらしい、という漠然とした不安は、かつて親衛隊を名乗っていた家令たちも同じように感じていた。

 しかし忠誠の度合いが少ない新参の者は、その不安を跳ね返すことができなかったのである。

 

 家令の弟は、兄がいずれ殺されることになると思い、ひそかに屋敷を抜け出て長楽宮へ走った。

 

「大事件です」

 

 と叫びながら上奏し、韓信の計略のいっさいを皇后である呂氏にぶちまけてしまったのである。

item16 item16c item16d item17a item18

トップページ | 目次 | 著者のページ | ご意見・ご感想はこちら