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第 一 部

 

関 中 へ

 

 

 宋義率いる楚の主力軍は「卿子冠軍(けいしかんぐん)」と称され、趙に遠征することとなる。

 このとき韓信は項羽のもと配属となったが、その地位は郎中という警備役に過ぎなかった。

 

――俸禄は多少もらえる。我慢すべきだ。

 

 自分にそう言い聞かせ、心中にわだかまる不満は外に漏らさないようにした。

 

 というのも、それなりの役得があるからである。

 韓信は貴人の護衛を理由に項羽の周辺に常にいることを許された。身分は低く、よほどのことがなければ発言も許されないが、軍の中枢部に近いところにいれば、なにか得るところもあるに違いない、そう思えたのである。

 

 しかし、このときの項羽は近づけないほど荒れ狂っていた。

 

「なぜだ! なぜわしが関中に向かうことを許さぬのだ!」

 項羽は怒り、周囲の者はひれ伏して「まあまあ」などと言いつつ、なだめるしかない。

 

――近侍の者に責任があるわけでもあるまい。不満があるのなら懐王に直接言えばいいのだ。

 韓信は少し離れたところにいるからこそ、そう思える。これが項羽の怒気の飛沫を浴びる距離にいたら、やはりひれ伏すしかなかっただろう。

 

 項羽はさらに吠え

「いくさ下手の劉邦などが関中にたどり着けるわけがない。そうなればこの作戦自体が失敗だ。このわしが行けばあっという間にことはおさまる。それなのになぜ懐王はわしではなく劉邦を選んだのか!」

 

 項羽という男にとって、世の中は敵か味方かしかなかった。敵に従うものはどういう事情があろうとも、すべて敵であり、中間は存在しない。襄城の一件がいい例であった。城中の市民は「襄城に住んでいる」という理由だけで敵とみなされ、項羽によって兵もろとも生き埋めにされたのである。

 

 懐王は項羽のそのような残忍さを嫌い、その結果、このような人事になったようである。

 

 韓信は思う。

――項羽という人は、己の感情で世界を支配しようとしているかのようだ。好きか嫌いかで敵味方を判別しようとする態度は……実にわかりやすい。欠点は多いが……政治的ないやらしさがないことだけは事実だ。

――そして、その対極にいるのが、宋義だ。彼を大将に据えるとは、懐王はよほど項羽が嫌いらしい。

 

 宋義は名家の出とはいっても、基本的に文官であり、軍の指揮などは経験したことはない。それをあえて大将に任じたのは、明らかに項羽に対する当てつけであった。

 

 かつて懐王は斉からの使者に次のように言われたことがあった。

「宋義どのは武信君の軍が敗れることを私にほのめかしておりました。私はそのときは半信半疑でありましたが、数日するとはたしてその通りになりました。戦わぬうちから敗れるとわかるとは、兵法を知った者のなせる業でございましょう」

 

 しかし、それを頭から信じるほど、懐王は馬鹿ではない。

 懐王にとって趙を救援することは擬態であり、極言すれば戦う必要はなく、そのふりをすればいいだけなのである。よって宋義でもその任に堪えると思ったのであった。

 

 よって、宋義にはせいぜい行軍に時間を割き、戦況が決したころに鉅鹿に到達するように言い含めた。

「劉邦などは関中王の位を与えてやっても、余は御していく自信がある……。しかし項羽がそうなっては、手が付けられない。宋義、これは内密だが、軍中で項羽が不穏な動きを見せたら、口実を見つけて処断せよ。よいな」

 

「……わかりました。きっと、そのように」

 

 

 

――遅すぎる。

 韓信は卿子冠軍の行軍の遅さが気になってならない。趙の窮乏は急を要しているのに、早く行って助けたいという気持ちがまったく無いかのようであった。

 

 さすがに懐王が宋義に命じてわざと行軍を遅滞させていたとは気付かず、ひとりひそかに懸念を抱いていたところ、安陽に到着した時点でついに軍はその歩みを止めてしまった。

 

――なにかある。いや、……この作戦自体に裏の目的があるに違いない。

 思い切って韓信は項羽に直言しようと考えてそばに寄った。というのも、この日の項羽は上機嫌だと人づてに聞いたからである。

 

「お前はおとなしそうな顔の割に、たいそうな剣を携えているな」

 

 だしぬけに項羽から声をかけられた韓信は返事のしようもなく、

「はぁ……。よく言われます」

とだけ答えた。項羽を信奉する者ならば、声をかけられただけでも泣いて喜ぶべきであったが、特別そのような感情を持っていない韓信には喜ぶ理由はなく、表情も変えなかった。

 

 項羽はそれが気に入らなかったようで、急にぶっきらぼうな態度をとった。

「なにか用か。わしは忙しい。言いたいことがあるなら早く申せ」

 

 韓信は、

「失礼ながら、お耳に入れたいことが」

と話を切り出した。

 

「それはわかっている。早く申せと言っているのだ」

 項羽はいらだち始めた。韓信はそれを気にしないように努力し、話を進める。

 

では……趙では一刻も早い救援を望んでいると思われますが、我が軍の進軍速度ははなはだ緩く、今に至っては完全に停まってしまいました。これは上将軍の宋義どのになにかの思惑があることに原因があると存じます」

 

 項羽はこれを聞き、

「なにかの思惑といえば……作戦であろう。それともお前は宋義に邪心でもあると言っているのか?」

と宋義を弁護するような言い方をした。

 

「確証はございませんが……。その可能性はあると考えています。もしそうでなくとも、こうしている間に沛公の軍は関中に迫り、我が軍は遅れをとります。宋義どのに対処を迫ったほうがよろしいかと」

 韓信は決して項羽に関中王になってほしいわけではなかったが、本意でないことを言うことも仕方のないことだと思い、そう話した。

 

「なるほど……。それは確かにそうだ。明日、宋義に会って確かめてみよう」

 

 実は韓信は項羽の性格であれば、即座に宋義を討ち、上将軍の位を奪おうとするものと考えていた。

 しかし項羽は存外謹み深く、過激な行動をとろうとはしなかったのである

 

――家格に対する貴族の本能的な遠慮か……。しょせんは項羽も貴族、ということか。しかし、これ以上言ってやる義理は私にはない。

 

 翌日。

 項羽は宋義のもとに参上し、柄に合わないような丁寧な口調で宋義に問いただした。

 

「秦が趙王を鉅鹿に囲んでいること久しいが、早めに兵を率いて黄河を渡り、外より楚が、内より趙が秦軍を挟むようにして戦えば、きっとこれを破れると思われる。如何」

 

 気性の荒い項羽としては充分すぎるほど慎み深く、上官をたてて物を言ったことは確かである。しかし、これを見越した宋義は項羽の献策を以下のように却下した。

 

「例えば手で牛を打ったとしても、表面の虻は殺せるが、毛の中の虱(しらみ)は殺せない。勝負を焦るあまり、大局を見ないようでは、蚊を殺すことと同じなのだ。つまり、今秦は趙を攻めているが、秦が趙に勝ったとしてもその軍は疲弊する。我々はその疲れに乗じればよいのだ。秦が負けた場合はなおさらである。よって得策なのは秦と趙を戦わすことなのだ

 

――それでは事実上趙を見殺しにしろ、ということではないか。

 項羽は思ったが、口にできない。このあたり韓信の項羽に対する評価は正しいものであった。

 押し黙る項羽に対し、宋義は自分の優位を主張した。

 

「わしは鎧をつけて戦場で戦うことは、そなたには及ばないが、策略をめぐらすことではそなたはわしに及ばない」

 

 余裕の発言だった。項羽は宋義の権威にうちのめされ、なにも言えずに退出した。

 

 項羽は、宋義の言うことが本当に正しいのか、まじめに考えた。そんな様子を見て宋義は項羽に対して韓信と同じような感想を持ったようだった

 自分に対しなにも言えない項羽の弱みにつけ込み、楚軍の中での勢力を打ち消そうと考えたのである。このあたりの宋義は、いかにも老練な政治家らしい。

 

 宋義は軍中に触れを出し、

「虎のように獰猛、羊のように言うことを聞かず、狼のように欲深な者は、みなこれを斬る(猛きこと虎のごとく、很〈もと〉ること羊のごとく、貪ること狼のごとくは、皆之を斬る)」と記した。

 

 名こそ出していないが、明確に項羽を示したものである。

 しかし項羽はそれでも我慢し続けた。

 

 

 

 滞陣は四十日を超え、士卒の士気が萎え始め軍糧も底をつき始めていた。おまけに冷たい雨が降る季節となり、兵たちは凍え始めた。

 

 陣中の誰もが不信を募らせ始めた頃、宋義はようやく行動を開始した。

 

 ついに軍を動かした、のではない。

 

 宋義は懐王から行軍を遅らせる命を受けたのをいいことに、その時間を利用して斉を相手に政治的遊戯に興じていた。自ら率いる卿子冠軍は、その道づれである。

 

 宋義はこの卿子冠軍に息子の宋襄(そうじょう)を同行させていたが、この息子を斉の宰相にするべく、自ら無塩(ぶえん)という地まで見送りに行った。ひと月以上も軍を留め、わざわざこの時機に送り出したのは、斉側の準備に時間がかかったからだろう。無塩で別れの大酒宴会を開いた宋義が、悠々と戻ってきたのには韓信もあきれた。

 

 しかし次将として軍に責任をもつ項羽としては、「あきれる」のひと言で済ませられようはずがなく、烈火の如く怒り、翌朝になって猛烈な勢いで宋義の幕中に飛び込んだ。

 

「士卒は飢え凍えているというのに、宋義は酒宴などを開き、趙と力を合わせて秦を攻めようともせず、秦の疲れに乗ずるという。秦軍の強さで建国間もない趙を攻めたら、趙が敗れることは必定、趙が敗れれば秦が強くなるだけである。なにが疲れに乗ずるだ! まして国家の危急時に子の私情に溺れるとは社稷の臣に非ず」

 

 項羽は斬りかかり、宋義は逃れながらも必死に反論する。

 

「楚と斉の間は、今良好とは言えず、一本の細い糸でかろうじてつながっているようなものだ。その糸をわしが太くしてやったことが、わからんのか。貴様のように戦うしか頭にない男に政略というものが理解できるはずがあるまい」

 

 項羽は頭に血が上った。目尻から血が噴き出さんばかりの形相で宋義を睨みつけると、

「今、問題にしているのは斉ではなく、趙だ。貴様の言うのは詭弁である」

と言って、ついに斬り捨てた。そして宋義の子

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を追い、斉の地に入ったところでこれ殺した。

 

 安陽に滞陣すること四十六日めのことであった。

 

 懐王はこれを伝え聞き、

――宋義の愚か者め。だから早めに処断せよ、と言ったのだ。

 と内心で愚痴をこぼした。

 

 しかし、こうなってはほかにとるべき道はなく、あらためて項羽を上将軍に任命し、宋義の下においた軍を項羽の下に再配置した。これによりやっと楚軍は進撃を開始したが、遅れは取り戻せそうになく、関中王の座は劉邦に奪われることを覚悟せざるを得なかった。

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