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第 二 部

 

京 ・ 索 の 会 戦

 

 

「危ないところでしたな。韓信は無事でしょうか?」

 手綱を操りながら、夏侯嬰は劉邦を気遣い、話しかけた。

 

「わからん……。それにしても情けないのは我が軍の脆さよ。五十万以上もいた兵卒たちがわずか一日で四散してしまうとは……。一体この先どうなるのか」

 劉邦は悪寒を覚えた。味方の不甲斐なさは言うに及ばず、とにもかくにも項羽の武勇の凄まじさ……。

 あの男とこの先一生涯をかけて敵対し続けねばならないと思うと、想像するだけで足が震えるのだった。わずか三万の兵に蹴散らされたことを考えると、とても自分などには太刀打ちできないと思える。

 

――わしは、進むべき道を誤った。あの項羽と争って天下を窺おうなど、我ながら高望みも甚だしい。昔に戻って……また沛の街で酒を飲んで暮らしたいものだ。

 そう思うと、目に涙がにじんできた。我知らず鼻水も垂れてくる。

 

 夏侯嬰はそれを見て、言葉を励まし、劉邦をさとすのだった。

「この先どうするかは、張良や韓信が考えてくれます。彼らが無事だったらの話ですが。大王は自らの身を案じ、家族の身を案じておられればそれでよろしいでしょう。とにかく大王の身になにかあっては、漢は成り立たないのですから……。そのお手伝いは不肖ながら嬰がいたします」

 

 言いながら夏侯嬰は馬の進行方向を変え、来た道を戻り始めた。

「どこへ行く?」

 

 驚いた劉邦は聞いたが、夏侯嬰は当然のように、

「沛へ向かいます」

とだけ答えた。

 

「……嬰、お前には人の心を読む能力があるのか。わしが沛で酒を飲みたいと思ったから……」

「違います。大王はこんなときにそのようなことをお思いだったのですか」

 

 劉邦はしどろもどろになった。

「いや、それは……まあ、いいではないか。それよりなんのために沛に寄るのか、それを聞きたいのだ」

 

 夏侯嬰は馬に鞭を入れた。劉邦の勘の鈍さに少しいらついた様子だった。

「沛にはご家族がおられましょう。救いにいくのです!」

 

 こうして劉邦は数騎の護衛を従え、沛に向かうこととなった。

 

 

 沛と彭城は目と鼻の先、と言えるほど近い位置にあり、この時点で沛に向かうことは当然のことながら危険を伴う。それでも楚軍に家族をさらわれ、人質にとられることで、後の行動を制約される素因をつくることは避けなければならなかった。

 

 しかし沛にはすでに楚の兵士があふれ、家族を捜すどころではなかった。時すでに遅かったのである。

 劉邦らは楚兵に囲まれ、それぞれ一目散に逃げたが、みな散り散りになってしまった。

 

 劉邦と夏侯嬰はたった一輛の車両で逃げ続けたが、その途中で劉邦の息子の劉盈(りゅうえい・後の恵帝)と娘の魯元(ろげん)を見つけたのでこれを車に乗せた。

 ところが追手がせまる中、幼く、なにもわからない子供たちはあどけない仕草で手遊びなどをしている。

 劉邦はそれが癪に障り、やおら子供たちの襟首をつかんでは車の外に放り出した。

 

「何をなさるのです!」

 夏侯嬰は車を止め、道ばたに転がった兄妹を拾い上げて車に戻し、再び走り出した。

 

 しかし劉邦はその後三度に渡って兄妹を車の外へ放り投げた。夏侯嬰はそのつど車を停めては、拾い上げて走り出す。

「停めるな、嬰。今度停めたら斬るぞ」

 

 劉邦は凄んでみせたが、夏侯嬰は意に介した様子もない。

「私を斬れば、誰が馬を走らせるのですか。大王こそ、わけの分からないことをするのはおやめください。楚軍に追いつかれてしまいます」

「わけが分からんとはなんだ! こいつらが乗っているから、重くて馬が疲れるのだ。そんなこともわからんのか」

「いくらなんでも幼な子を見殺しにすることはできません。ただの幼児ではない、公子と公女ですぞ。大王は平気なのですか」

「おまえはこいつらとわしとどっちが大事だと考えているのだ。公子だろうとなんだろうと、子など失っても構わん。わしさえ存命ならば、また子を作ることはできるのだ! お前はわしの命を第一に考えろ」

「……従えません! 私の命にかえてもこのまま逃げおおせてみせます。それなら文句ないでしょう」

「……お前の命など、どれほどのものかよ!」

 

 劉邦は吐き捨てたが、夏侯嬰を斬るわけには、やはりいかなかった。

 

 かくして夏侯嬰は自分が斬られない立場であることをいいことに、我を押し通して兄妹をのせたまま車を走らせ、なんとか危地を脱することに成功した。

 

 しかし一方で沛に取り残された劉邦の父と妻の呂氏(りょし)は楚軍に捕らえられ、項羽の捕虜となってしまったのである。

 

 

 韓信は彭城から滎陽への道を辿るなか、散発的に楚軍に襲撃されながらも敗兵を集めて組織し直した。情勢の確認も忘れておらず、誰が無事逃げおおせた、誰が戦死した、という情報をなるべく努力して集めるようにした。

 しかし現代のように個人間の連絡がとりづらいこの時代ではそれも思うようにならず、結局韓信がまともに得た情報は、

「趙軍は多数の犠牲者を出しながらも中枢部は無傷で、趙の陳余は兵を率いて邯鄲(かんたん・地名)に逃れた」

ということぐらいであった。

 

 その情報の主は、蒯通(かいつう)という男である。もともと陳勝・呉広の乱の際、趙の再建に功績があった男であるが、その後陳余のもとではあまり厚遇されず、彭城での混乱を機に漢に鞍替えを決めたらしい。

 小男でさえない風貌であったが、各地の政情に通じた弁士で、いわゆる縦横家(じゅうおうか)であった。

 

 このとき蒯通は、韓信に対して、

「趙はいずれ、楚に靡きましょう。魏もまた然りです。漢が楚に対抗しようとするならば、趙・魏の勢力をあわせて楚を包囲することが不可欠です。それでようやく五分というところでしょう」

と言った。また、

「趙・魏の勢力を合わせることは、連合という協力体制によっては不可能です。生ぬるすぎます。しかるに武力をもってこれら二国を制圧し、属国とすることが最善でしょう」

と言った。

 

 韓信はほぼ初対面の相手からこのような大胆な発言を聞かされたことに驚き、

「君はそれを私にやれとでも言うのか」

と問いただしたという

 

 韓信としてはそういう政略めいたことは漢王や張良にでも言え、と言いたかったのである。

 しかし蒯通はこれに対して、さも当然のように答えた。

「ほかに誰がおりましょうか? 将軍以外にできる者はおりますまい」

 

――できる、できないではない。お前は献策する相手を間違っているのだ。

と韓信は思ったが、

「君の言うことは理解できるが、今はそのようなことを考えている余裕はない。漢軍自体が壊滅に近い状況にある今、どうして将来のことを考えていられよう? 私には喫緊の課題がある。それは大将として漢軍を立て直すことであり、趙や魏を討つことではない」

と正統な論理で蒯通に言い渡した、ともいわれている

 

 蒯通は含みのある笑みを浮かべ、これに答えて言った。

「それはその通り……間違いございません。しかし、将来的には必ず将軍が……。すでに将軍は旧秦の地を平定し、韓を撃ち破りなさった。おまけに項王とも渡り合ったと聞き及んでおります。きっと漢王は将軍に命じます。魏を討て、趙を討て、代を討て、燕を討て……と。そして斉をも討てと命じます。あらかじめ、お覚悟はしておいた方が良いかと」

 

「君は一体何が言いたいのだ」

 韓信は蒯通の言葉に気分が悪くなった。蒯通はまるで自分を使嗾しているかのようで薄気味悪い。「お覚悟」とはなんの覚悟のことか。まるで見当もつかない。

 

「漢王から命が下されれば、私はそれに従うまでのことだ。ほかには何もない」

 韓信はそう言い、蒯通をさがらせた。

 

「……大将ともなると、得体の知れぬ輩も寄ってくるものよ。私に一体どうしろというのだ。なあ、カムジン」

「……ハイ」

「お前は相変わらず無口だな!」

 蒯通のような口達者な弁士を相手にしたあとでは、カムジンのような寡黙な少年を相手に愚痴をこぼすのも楽しいというものだった。

 

 韓信はその日の午後、鍛錬と称してカムジンと騎射の腕比べをし、完敗を喫した。それでも束の間の楽しい時間を過ごしたのである。

 

 韓信は滎陽に至るまでの間、八千五百余名の敗兵を再集結させることに成功した。一方劉邦は滎陽の手前、下邑(かゆう・地名)で呂氏の兄の軍に出会い、これを中核に漢軍を再組織することに成功している。また、ちょうどこのとき蕭何が関中から徴募した兵を滎陽に引き連れてきたので、漢は再び勢威を盛り返すことになったのであった。

 

 

 

 劉邦は韓信が滎陽にたどり着いたのを確認し、手放しで喜びを表現した。

 

「天下無双の武勇。漢の至宝。わしの麾下で項羽と渡り合える者は韓信のみである」

「とんでもございません」

 

 喜ばしいことではあったが、他の将軍たちの手前、韓信はあからさまに功を誇ったりはしない。劉邦はそれに多少物足りなさを感じた。

「相変わらず、そっけない奴だ。わしがこれほど歓喜しているのにお前という奴は謙虚に過ぎる。謙虚すぎて、面白くないわい。男というものはもっと……」

 

「大王、お話があります」

 王の話の腰を折る、というのは普通許されないことである。しかし劉邦は放っておけばいつまでも話し続ける手合いの男であったし、話し続ければひとりで感情が高ぶり、始めは冗談のつもりがいつしか本気の罵りになることが多かった。よって劉邦に伝えたい用件があるときは、中身のない話に付き合わず、単刀直入に話すに限る。

 

「……滎陽に到着して間もないのですが、私の見たところ漢軍の陣容は以前と変わらぬ程度に整いつつあるようです。主だった将軍にも落命した者はないように見受けられます。そこで早いうちに楚に反撃したいのですが」

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 多弁な劉邦が言葉を失った。

 戦いたくない、という気持ちを持っていることは明らかである。

 韓信は説得しなければならない。

「趙はすでに連合を離脱し、邯鄲に撤退したという情報を得ています。そして楚と盟約を交わしたとか。これは趙の陳余が漢より楚の方が強いと判断した結果でしょう」

 

 戦いたくない劉邦は、必死になって反論した。

「それはあのへそ曲がりの陳余に張耳が生きていることを知られたからだ。奴はそれを理由に漢と訣別する旨の書状まで送ってきおったわい。しかし、それでも構わないではないか? お前はもともと反覆常ない陳余のような男の力を借りることには反対であっただろうが」

 

「それはそうです。しかし、敵対するよりは味方にしておいた方がまだましです。このままでは、いまに陳余はおろか魏も態度を覆して楚に味方しましょう。それは漢が楚に対抗できぬと彼らが思っているからで、これ以上の離反を食い止めるためにも、ここで一度楚には勝っておきたいと存じます」

 

 そもそも滎陽に漢軍が集結したといっても、それを楚軍がただ見ているはずはなく、いずれは襲撃されるのである。韓信が言っていることは、やられる前にやれ、ということに過ぎない。

 それでも劉邦の自尊心を汚さぬよう、自発的に戦いの決断をしてもらおうと韓信は言葉を選んだのだった。

 

「わしが今、平穏を望んだところで、楚は許しはしないであろう。いずれ楚がこの滎陽に攻め込んでくるということは、わしにもわかっている。……信、お前の言うことはわかった。一晩考えさせてもらおう」

 韓信はあまり釈然とはしなかったが、再会したばかりのときにあまりしつこくするべきではないと思い、その場を退去した。

 

 韓信をさがらせた劉邦は、その夜、やはり滎陽で再会を果たした張良に話を持ちかけている。

「気の早い韓信は、来た早々に楚を迎撃したい、と言っているが……子房はどう思うか?」

 

 彭城でいいところがなかった張良は後ろめたさがあるのか、やや遠慮がちに答えた。

「そうですか……。韓信がそうしたいと言うのならば……異存はございません。私としてもいずれは迎撃しなければならない、とは思っていました。ただし時期が問題ですが、今がその時期だと韓信が言うのであれば、彼としては勝算があるのでしょう」

「勝算か……。子房、わしは本当のことを言うと、もう疲れた。……わしは関中以西だけを領土とし、中原はすべて項羽にくれてやってもいいと思っている。わしは、項羽にはとても勝てん。麾下の将軍たちも楚に比べて有能だとは言い難い」

 

 張良は劉邦の弱気な発言を咎めはしなかったが、決して同調したわけではない。

「大王が関中以西を領有したいと主張なさっても黙ってそれを許す項王ではありません。妥協点を見出すためには漢も力を示さねばなりません。すなわち楚と戦って、ある程度の勝利を得なければ項王を交渉の席に引きずり出すことはできないでしょう」

 

 劉邦に取り付いた弱気の虫はそれでも振り払うことができなかった。

 

 このときの劉邦はすでに五十を過ぎ、当時としては初老と言ってもいい年代である。嘆息の原因が年齢によるものなのか、それとも生来の根性のない遊び人としての性格によるものなのかは、よくわからない。

「子房の言うことは理屈としてはわかる。しかし楚と戦ったとして、勝てる者がいないではないか」

 

 張良は毅然として言い放った。

「いえ、韓信がいます! ……彼には期待していいでしょう。これまでの実績が示しています。騙されたと思って、全軍の指揮を委ね、楚を討たせるべきです」

 

「韓信は、やるだろう。しかし……ほかにはおらんのか。やつのほかに大事を委ねられる者は」

 

 劉邦の表情に、不安の陰がよぎる。張良はそれを韓信の作戦遂行能力に対しての不安だと読み取った。

 

「ほかに誰がおりましょう。任せられるのは韓信しかいません。しかもそれで充分です。彼は限りなく可能性を秘めた男だと、私は期待しております」

 

 張良の言を入れて、劉邦は韓信を総大将に楚を迎撃することを認めた。

 

 しかし一方で劉邦は、韓信のような麾下で突出した才能を持つ男に大権を委ねることを、このときひそかに恐れ、迷った。

 劉邦の不安は、実はこのことに由来するものだったのである。

 かつて奔放だった劉邦が年齢を重ね、猜疑心を強めていったのは実はこのときからだった、と言われている。

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