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第 三 部

 

抗 争 の 終 わ り( 続 き )

 

 

「なんと美しい……」

 数十名の部下を引き連れ、垓下の砦の内部を検分して回った韓信は、楼台に横たわる若い女性の遺体を前に足を止めた。

 二十代前半か、あるいは十代後半かもしれない。そこに寝ている女性には首から背中にかけて大きな傷があり、激しい出血の痕があったが、それにも関わらず天女のような面影が残されていた。

 

「項王の寵姫、虞美人にございます」

 傍らにいた女官の生き残りのひとりが、そう告げた。

――項王の愛妾……。

 

「どんな娘であったか」

 興味を覚えた韓信は、女官に向けて質問した。

 

「口数の少ない、しとやかで、おとなしい方でございました」

 それきり女官は涙を流し、話ができなくなった。

 

――項王はあれほど多くの人を殺してきておきながら、最後には類い稀な美女までも道連れにする……しかし、項王に殉じた者がこの女のみだということは、喜ぶべき結果には違いない。

 だが、項羽が死ぬことになり、その結果この美女が自らの命を絶ったということは、韓信に感傷を起こさせる事実であった。

 

――あるいは、この娘を死に至らせた原因も、自分にあるのではないか。

 そう思うと、いたたまれなくなる。

 

――なにも死ぬことはないだろうに。

 敵将である自分に対する当てつけかとも思われてくる。

 

――この娘がもし蘭だったら、やはり死ぬだろうか。

 いや、そんなはずはない。あれは、ひとりでも生きていける女であった。確かに美しいが、いかにも王家の後宮に住む姿が似合うこの女とは……違う。

 

「斉王は、このような女がお好みですか」

 ふいに発せられた配下のひとりの質問に、韓信は答えた。

「いや、……どんなに美しいといっても死んでしまっては、咲かない花と同じだ。あるいは枯れた花か……。いくら枯れた花を愛でてみても、寂寥を癒すことはできず、かえってそれは増すばかりだ。……項王のそばに葬ってやるよう手配せよ」

「は、ですが項王はまだ……」

「いずれ死ぬ」

 このとき項羽の死はまだ確認できないでいたが、韓信にとってそれは既定の事実であるかのようであった。

 

 戦いは終わり、韓信は兵を引き連れ、斉への帰途についた。残党の始末をしつつ、臨淄に帰ろうとしたのである。

 

 天下はあらかた定まった。にもかかわらず、韓信の心には、晴れ晴れとしたものはない。

 かつて、魏蘭は彼に言ったことがある。

「戦争が終われば、内乱が始まる」

 

 それは正しいことのように思えた。今日まで絶えることのなかった戦いが、明日から急になくなるとは、どうしても思えない。

 しかし項羽が死んだ以上、内乱を起こすにしても新たな首謀者が必要で、それが誰なのかが当面の問題であった。

 

 韓信は思う。自分は世に戦いがあれば、必要とされる男だと。

 つまり、内乱が起こったとしても自分が鎮圧するつもりでいたのである。

 

 

 項羽が自害して死んだのは紀元前二〇二年十二月である。

 かつて楚の令尹であった宋義は項羽のことを「猛キコト虎ノ如ク」と評したが、猛虎とはいかにも彼を呼ぶにふさわしい通称であるかのように思われる。敵と見れば見境なく噛み付き、その反対に同族や味方に対しては限りない優しさを見せた彼は、動物的な野生を残した人物のようであった。いわば、群れを守るボスのような存在である。

 

 一方の劉邦は、とある伝説から竜の子であるとされた。

 その伝説とは、母親が竜に犯されたのちに生まれた子だ、というのもので、非常に信憑性が薄い。しかも驚くことに、それを広めたのが妻を寝取られた形になった父親である劉太公であったらしい。

 これは史料にも記載されている話だが、事実として認めるには、あまりにも途方もない話である。

 東洋的神秘に彩られたそのような伝説がどうして生まれたのか正確には不明だが、ひとつには当時流行した五行思想において、漢王朝は五行のなかの「火行」に由来するとされていたので、その創始者である劉邦を「火」に縁の深い想像上の動物である赤竜の子と称した、という説がある。

 しかしこの説に基づいても、なぜ漢が火行に由来するのか論理的に説明することは難しい。おそらくこの伝説は、後の西洋に生まれた王権神授説に似たようなもので、劉邦が天命によって天下を治めることを定められていたことを言いたいがために作られた逸話なのだろう。

 あるいはライバルである項羽が天命によって滅んだという説に基づき、劉邦は天命によって生まれたという対極的な創作がなされたのかもしれない。

 

 しかし創作だとしてみても、劉邦を竜にたとえることは、やはり自然であるかのように思われる。悠然と空を泳ぐその姿は、古くからの儀礼やしきたりを嫌い、細かいことにこだわらなかったとされる劉邦の印象によく合うのである。

 

 同時代にその猛虎と赤竜が並び立つことは許されず、縄張りや主導権を主張し合い、ついに戦うことになったのは必然であったように思われる。

 獰猛な虎には牙や爪の武器があり、それは触れる固体をすべて破壊する力があった。

 これに対して、竜には口から吐き出される火焔がある。

 竜そのものには戦闘力はあまりないが、その吐き出す炎には猛烈な燃焼力があった。

 韓信などは言うなれば、その炎にたとえることができる。

 形のない炎にたいして、虎が牙や爪で対抗しようとしても、無効であった。そして炎は虎を包み込み、ついに焼き殺した。

 

 楚漢の攻防を象徴的に示そうとすれば、そのような表現が似合う。

 

 しかし、虎を殺したあと、竜は一抹の不安を覚える。自分の吐き出した炎がふいに風に煽られると、制御力を失うことに気付いたのである。

 吐き出した炎によって、ともすれば自分が焼き殺される危険があった。

 しかも不思議なことに、その炎は消えることがなく、大きくなったり小さくなったりして空中に存在し続けているのである。

 

 危機を感じた竜はなんどかその炎を自分の鼻息で吹き消そうとしたが、炎は意志を持っているが如く、なかなか消えようとしない。対処に困った竜は、その長大な尾を振り回し、それを遠ざけることに尽力した。

 一見、炎を消し去ることは諦めたかのように見える。

 しかし実際は、竜は次の手を考え、機会を狙っていたのだった。

 

 一方の炎には、実のところ意志などありようがない。炎は炎に過ぎず、勢いよく燃えるべきところでは燃え、そうでないところは勢力を落とすだけの話である。

 竜の吹き消す力が十分でない、それだけであった。

 

 そもそも炎を生かすか殺すかは、炎の意志によってではなく、それを扱う者によって定められるのである。しかも炎は小さくなっても炎であることには変わりなく、ともし火のような大きさになっても生き続けることができる。扱う者が適正な判断を下せば、それは世界を照らす明かりとなり、暖をもたらすものともなり得るのだ。

 

 竜はしかし虎を焼き尽くした以上、もはや炎は危険なものとしか考えなかった。ゆえに消し去ることばかりを考え続けたのである。

 

 炎が消えない限り、天下に争乱は、まだ続く。

 

 

 項羽を失った楚の諸城は、次々に漢に降伏していった。

 ただ魯だけはなかなか降ろうとせず、抵抗を続けたという。これは当初懐王が項羽を魯公としたことに起因しており、魯の人々は項羽に忠義だてして漢の攻撃に対して皆死のうとしたのであった。

 これは、意外にも項羽が住民によって支持されていたことを示す証左であり、それを残虐な方法で制圧することは征服者としての資質を問われることであった。そのことに気付いた劉邦は項羽の首を彼らに示して見せ、抵抗の無意味を説いたところ、ようやく彼らは降ったのである。

 

 こうして楚の地は残らず征服されるに至った。劉邦は項羽のために喪を発し、彼を穀城という地に葬った。

 穀城とは梁にある土地で、項羽のかつての領土であったことには違いないが、春秋・戦国時代に由来する本来の楚地というわけではない。よって項羽は楚人というより、魯公として葬られた、と言えそうだ。

 

 劉邦は、項羽の葬儀にも参加し、その場で涙を流してみせた。

 それが好敵手を失った悲しみの涙なのか、それともついに宿願を果たしたうれし涙なのかは、はっきりしない。おそらくその双方なのだろう。

 というのも、彼はその後、項氏の生き残りの人物を誰も殺さず、縁のある項伯などに劉姓を授けたりしているのである。偽善的にも思えるかもしれないが、劉邦のこの行為は乱世に滅んだ敵将を哀れむ気持ちが表れており、そのため葬式で流し

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た涙に嘘はなかったと思われる。

 

 葬儀を終えた劉邦は帰還の途につき、その際に定陶を通った。定陶には、帰還途中の韓信率いる斉軍が、軍塁を築いて駐屯していた。ここで劉邦は一見不可解な行動をとるのである。

 

 項羽亡き後の天下の争乱が、始まろうとしていた。

 

(第三部・完)

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