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第 一 部

 

乱 世( 続 き )

 

 陳勝麾下の将軍鄧宗(とうそう)は九江郡(寿春を郡都とする旧楚の中心地)の制圧を命じられ、その軍が淮陰の城壁まで迫りつつあった。

 

 ついに淮陰も戦渦の影響を受け始め、韓信も気が気ではない。肉親をなくし、友人には旅立たれ、師にも先立たれた韓信は、もはやこの地に未練もないと思っていたが、実際に故郷が蹂躙されるというのは我慢ならないことだと気付いた。

 そこで韓信は、県の庁舎に赴き、守備兵の仲間に入れてもらおうとしたが、ある若い門番は彼に向かってこう言った。

「県令なら、いないよ」

 

 韓信は聞いた。

「いつ、戻ってくるのだ」

 

 その若い門番は、あきれたように答えた。

「戻ってきやしないよ。ここの偉い連中は、みな荷物をまとめて逃げ出したんだ。彼らは中央から派遣された連中だから、咸陽にでも帰ったんだろう。残ったのは帰るところなんてない地元の連中だけだ」

 

 韓信は驚愕を受けながらも、なおも門番に問いただ

「守備兵はどうした」

 

「とっくに解散して、それぞれ故郷に帰ったよ。県令が逃げたのだから、それも仕方がない」

 秦の統治下では一生で最低でも一年は自分の属する郡の衛士とならなければならない。いわゆる守備兵である。しかし郡の中のどの県に所属されるかは定められていないので、この場合は、守備兵の中に淮陰出身者がいなかった、ということだろう。

 

「では、お前は門の前に突っ立って、なにを守っているのだ」

 

「なにって……県令や守備兵が逃げ出したなんて知れたら、敵の思うつぼだろ。いつもと変わらない風を装って、こうしているんじゃないか」

 

「馬鹿だな、お前は。敵が来るまでそうして突っ立っている気か。父老には相談したのか」

 父老とはいわゆる長老のことで、邑のまとめ役のことである。

 

「まさか。年寄りに相談したところで、降伏しろと言うだけだろう? 鄧宗の軍は略奪の度が過ぎると評判だから、俺たちはできることなら対抗したいんだ。でも残っているのは役所の下働きの者ばかりで指揮を執れる者がいない」

 

「……中に入れろ」

 門を開けさせ、押し入るように中に入った韓信の目に映ったのは、かっこうだけは甲冑などをつけて整えている頼りない集団だった。

 

「武具を身に付けているということは、戦う気があるということなのだな?」

 もともと県令の馬の世話や、食事の用意などをしていた連中である。彼らは自分たちが鎧を身に付けている意味を知らず、韓信の言葉に震え上がった。

 韓信はあきれた。

「武器は残っているか」

 

 彼らが案内した武器庫の中には、盾が約三十、矢が一千本余り、長戟(ちょうげき)が百本以上備えられていた。

 長戟とは、槍の先端に(ほこ)を備え、敵を遠距離から突き刺すのに都合良くできた兵器である。なおかつ枝のように刃が側面にも装備され、振り回して敵を引っ掛けるように斬ることもできた。

 それらの携帯的な装備のほか、武器庫の奥には大きな投石機が五台、鎮座していた。本来は攻城兵器であるが、使えないことはない。てこの原理を利用し、一端に石、もう一端には紐が付けられており、複数の人間が紐を引くことで石が発射される仕組みである。

 淮陰一帯はかつて国境が入り組んだ地域だったことで、このような兵器が常備されていたのだった。

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「充分ではないか」

 これだけのものがあれば、県城に押し寄せる敵を殲滅するのはなんとか可能である。

 あとは、やり方次第だ……韓信の頭の中が、鬱屈した若者のそれから策士のそれへと変貌しつつあった。

 

「弓を使える者はいるか」

 幸いなことに二十名ほどの者が、なんとか弓を使えそうだった。韓信は彼らを急造の弓兵とした。

 

 指導者はいなかったが、兵数は百余り、それぞれが剣と弓を携え、予備兵器も充分にある。韓信は自信を感じた。その自信が態度となって現れ、自然に兵たちの指導者的立場になっていく。

 彼は一計をめぐらせた。

 

 

 やがて淮陰城に迫った鄧宗配下の指揮官である雍昌(ようしょう)の耳に、妙な噂が入り始めた。

 

「県令はすでに殺され、城内は韓信という男を頭目とする自立勢力によって占拠されている」

「城内では韓信の命による略奪行為が横行し、住民はみな飢え、子を交換して食っている有り様である」

「そのため住民は陳勝麾下の軍が鎮撫にくるのを心待ちにしている」

「住民たちはついに決起し、自立勢力の親玉の韓信を捕縛することに成功した」

「住民たちは城門を開放し、張楚軍を歓迎する構えを見せている」

 

 次々に耳に入ってくる噂の展開が真に迫ったものなので、雍昌はこれを疑わなかった。しかし、これこそが韓信自身が発した流言だったのである。

 

 あらゆる方角から囲まれ、城壁をよじ登られて侵入を許したら、なす術がなかった。韓信は流言を撒いて相手を油断させた上で、あえて城門を開放し、敵の侵入経路を限定することに成功した。城壁には東西南北それぞれに城門が備えられているが、このとき韓信は北門だけを開放し、城内に伏兵を忍ばせておいた。噂を疑わなかった雍昌は、狭い城門を通過するために隊列を細長くしたまま、ゆるゆるとだらしなく進軍していく。

 

 これを見た韓信は、

――二百名ほどの小部隊だ。やれる。

と確信した。

 

 韓信は音を立てず、弓を構えた。先頭の騎馬兵を狙い、物陰から矢を放つ。

 

 矢は目標に到達し、その騎馬兵の胸に突き立った。

 それを合図に無数の石つぶてが雍昌軍の頭上に降り注いだ。敵軍から見えない位置に注意深く設置された投石機から発せられたものである。たかが石つぶてといっても大きさは大人の頭ほどで、当たりどころが悪ければ、即死だった。

 

「敵襲だ! 退却せよ」

 

 逆戻りして門から城外へ脱出しようとした雍昌軍だったが、城門にはすでに二十名の弓兵たちが陣を構えていた。雨あられのように弓矢が浴びせられ、雍昌は一瞬で兵の三分の一を失った。

 

 その次の瞬間には両横から長戟を持った兵が突如として現れ、長く伸びた隊列の側面を衝いた。これにより雍昌の軍は前後に分断され、それぞれ戟で貫かれていく。

 

 馬に鞭を入れて、ひとり脱出しようとはかった雍昌に石が投ぜられた。石は馬の頭部に当たり、雍昌は馬ごと転倒して全身を強く打つ重傷を負った。一方、馬は即死した。

 非情なようだが、とどめを刺さなければならない。逃がして鄧宗の本隊にでも駆け込まれては、事態は面倒なことになってしまう。韓信は意を決して、雍昌の命を絶った。

 

 とどめを刺すにあたって、韓信は腰の剣を使おうかと思ったが、結局弓矢を使った。

 剣は彼にとって大事なものではあったが、手入れを怠っていたので、切れ味に確信がなかったのである。

 

 

 

 韓信は急造の兵士たちから淮陰に留まるよう要請された。彼らにしてみれば、敵を撃退したのはいいものの、それが次の敵を呼び込むもとになるようで不安だったのである。

 しかし韓信はそれを断り、その足で母親が眠る丘の上の小さな墓に立ち寄り、最後の別れを告げた。

 

 

「……行くあてが決まっているわけではありません。ただし、行く以上はこの戦乱の世にけりをつける男になりたい。そう思っています……。戦場に立つことは母上の本意とは違いましょうが、お許しください」

 

 韓信が雍昌の軍を破った行為は、さほど必要性がなかったという意見も多くあり、彼があと先の考えもなく敵軍を殲滅し、見捨てるように淮陰をあとにしたのは無責任に過ぎる、という意見もある。

 しかし実際に韓信が淮陰の地に残ったとしても、いつまでも守り通すことはできなかっただろう。

 

 このときの韓信の心情を表した言葉が、一部の者の記憶に残っている。

「私は、武器の取り扱いなどにかけては多少自信を持っているが、他人に真心を理解させることは、もともと得意ではない。このたびの戦闘であらためて自覚を深めたが、むしろ私は、人を騙すことの方が得意らしい。徳があるとは言えず、あまり政治には向かない」

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