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第 三 部

 

夢 か ら 覚 め て ……

 

 

 臨淄に戻った韓信の目に最初に印象的に映ったのは、弓の練習にいそしむ蘭の姿であった。

「また、君はそのようなことを……。なぜ、君の興味は武に傾くのか。君を戦場に立たせることは、私はしないつもりだ。何度も言っているではないか」

 

 韓信はくどくどと説教くさく蘭に対して言ったが、当の蘭はそれを気にかける様子もみせない。

「いつ、なにが起きても構わないように……。最低限自分の身は自分で守らなくては。私は、残念なことに世間一般のしおらしい女性ではないのです」

 蘭はそう言いつつ、矢を的に向かって放ってみせた。蘭の弓勢は男性のそれとは比べ物にならないが、狙いは正確である。矢は的の中央に突き刺さった。

 

「見事!」

 傍らにいた曹参がこれを見て手を叩いた。

 

「魏蘭どのの技術は、日増しに向上しております。乗長に任命して戦車に陪乗させても良いくらいですぞ」

 その曹参の言葉に蘭は気を良くしたのか、はしゃいだ様子をみせて言った。

「そうでしょうとも。将軍のことも守って差し上げます!」

 

 韓信には、蘭がこのような子供っぽい話し方をすることが意外に感じられ、それに可愛気を感じたことは事実だったが、王者たる自分が、そのようなことで軽々しく感情を外に示すものではない、と考え直した。

「私は戦場では馬に乗る。戦車に乗ることはない」

 

 それだけ言い残して、そっけなくその場をあとにした。蘭はその後ろ姿を微笑をたたえた目で見送りながら、ぺろりと舌を出した。

「相変わらず、世慣れないお方でありますこと」

 

 しかし蘭にとっては、それが韓信の魅力なのであり、灌嬰やこの場にいる曹参にとってもそれは共通の感情のようであった。

「あの方はそれが長所であろう。私はあの方には浮ついた態度をとってもらいたくないと思っている。もしあの方が軽薄な男であったとしたら、きっと幻滅するだろう」

 曹参はそのように韓信のことを評した。

 

「しかし、王としては多少堅物過ぎる傾向がある。真面目なお方だけに、価値観の異なる者を理解しようとしないところがあるのも事実だ。あの方にとって義や仁の精神は教えられて身に付けたものではなく、持って生まれた素養であると言えよう。だから、それを持たぬ者の気持ちがよくわからない。したがって裏切りや、変心を企む者に気付かない可能性が大きい」

 そう言って曹参は、さらに韓信についての評を付け加えた。

 

「ここ斉の国では、裏切りや変心が国民の間に渦巻いています。将軍はそれに気付いていないと?」

 蘭は曹参の弁に不安を感じ、問いただした。

 

「将軍ではない。王だ。君たちの間ではそれが普通かもしれないが、公式の場ではあの方のことを王と呼ぶように気をつけねばならぬぞ」

「はい」

「……質問の件だが、わが斉王は頭では気付いておられる。しかし、それがどのようなものなのかは具体的に理解しておられない。危機感が少ないと言えよう。このたび王は前線から斉出身の兵を引き連れて戻られたが、私にはそれがどうも無警戒に過ぎると思われるのだ」

「ですが、兵を心服させ、民心を安んじることを思っての行為だと私は思いますが……。故国を奪われた兵に前線の守りを委ねることは危険ですし、兵を送り出している家族に対しても、一度は支配者として慈愛に満ちた行動をしめすことは重要なことと……」

「言いたいことはわかる。斉の家族にとって息子たちが近くに戻ってきたことは歓迎すべき事態だといえるだろう。しかし、問題なのはその家族たちが、まぎれもない斉人だということだ。裏切りや変心に満ちた心を持つ斉人たちなのだ」

「……斉の国民の誰もがそのような心を持っているとは思えません」

「確かにそうかもしれぬ。だが、安心はできん。家族たちが戻ってきた兵を説き伏せ、兵たちがその計略に基づいて行動したとしたら……。反抗心を持たぬ斉人がいたとしても、ことが起きれば彼らはやはり斉人の側に立って行動するだろう。我が王は、未だ斉人の心服を得るに至っていない。反乱がおきる危険はいくらでもあるのだ」

 

 しかし、それが一体どのような危険であるかは、曹参自身にも予測がつかず、もちろん魏蘭にもわからない。曹参は、戻ってきた斉兵の行動に注意することだ、と言ったが、蘭は具体的に何をしてよいのか想像できず、

「微力を尽くします」

と、しか返答のしようもなかった。

 

 自分の手に残された弓が威力を発揮することがあるのか。蘭はそれを思うとたとえようもない不安に襲われた。

――いざという時には、この弓を人に向かって射たなくてはならない。私に本当にそんなことができるのかしら……。

 練習で的の中央に当てて喜ぶのとはわけが違う。思えば韓信は自分にそんな思いをさせないために、弓の練習などやめろ、と言い続けていたに違いない。

 

 

 韓信のもとへ、漢から使者が送られてきたのは、それから間もなくのことであった。

「広武山にて死闘を繰り返してきた我が漢と楚は互いに和睦を結び、これにより鴻溝を境として、両国の領土が確定いたしました」

 

 使者の言上に韓信は無言で先を促した。この事実だけでは、喜ぶべき事態ではない、とでも言いたそうである。

「和睦にともない、漢王は人質とされておりました御父君劉太公様と王妃呂雉様を奪還なされました」

「ふむ!」

 

 韓信はここでようやく反応を示した。

「……ということは、漢にとって攻撃をためらう理由はなくなった、ということだな。いよいよ、項王を討ち、楚を滅ぼすときが来たようだ」

 

 傍らで聞いていた曹参は、しかし疑問を呈してみせる。

「だがしかし、いま使者どのは和睦が成ったとおっしゃったではないか。和睦を違えて攻撃することは義に反する……大王、そうではないか?」

「いや、曹参どの。これは戦略なのだ。そうに違いない」

 

 韓信と曹参は使者を置き去りにして話しだした。

「項王は、武勇一辺倒の人で、また実際に強い。正面からまともにあたって勝てる敵はいないだろうし、項王その人もそれを自覚している。これに対して漢軍はまともにあたっては勝てないのだから、知略を駆使して戦うしかない。よって和睦はほとんど偽りと言うべきもので、漢王にはそれを守るつもりはない、と見た」

「しかし、そのような不義を項王が許すだろうか?」

「それは関係ないな。殺してしまえば許すも許さないもないだろう」

 

 常にない韓信の大胆な発言に一座はしんと静まり返った。

「……失礼、少し表現が残酷だったようだ。しかし、正面切って正々堂々と戦って殺すのも、知略を駆使して相手を騙して殺すのも……つまるところ、結果は同じだ。どちらも相手を殺すことに変わりはない。つまり、戦争というものに美や正義などを求めてはならない。敵と戦う以上、それを覚悟する必要があると、私は思うのだ」

 

 置き去りにされた形の使者は、ようやくここで存在を主張し始めたかのように話の続きを披露した。

「斉王のお言葉は、正しいと私には思われます。漢王は彭城に帰還しようとする楚軍の後を追い、機を見てこれを急襲せんと目論んでおられます。つきましては宿年の戦いに雌雄を決するべく、斉王にご出陣いただきたいとの由にございます」

 韓信は深々と頷き、了解の意を示した。これにより、前線から戻ってきた斉兵たちは、ほぼ休む間もなく再び戦場に送り出されることになったのである。このことは斉兵や、その家族たちに深い不満を与えることになりかねなかったが、別の見方をすれば、韓信が兵を心服させる良い機会だと言えた。

 

 韓信に従う者は、戦場における彼の神通力とも言えるような武勇に魅せられているのであって、決して韓信個人に畏怖の念を持っているわけではなかった

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。また、韓信自身も兵を威嚇したり、あるいはなだめたりするなどの努力をしていたわけではない。言葉や態度で相手に畏怖の念を抱かせることが得意ではなかった彼は、ただ実績のみで兵を従わせてきたのである。

 つまり、兵が韓信に従ってきたのは、韓信が常勝の将軍だったからに過ぎない。さらにこれは韓信は自ら戦ってみせることでしか、人々の心服を得られないことを意味した。

――漢王には、王者の徳がある……項王も多少偏りがあるとはいえ、懐の深さがあると言えよう。だが自分には……それがない。あるのは、ただ……

 

 韓信にあるのは、戦えば必ず勝つ能力だけであった。

 

 韓信は斉兵たちを心服させ、ひいては斉の国民すべてを統率するためには、自分が直接軍を率いて戦ってみせることが必要だと考え、実際に彼は二十万の兵に号令して臨淄に集結させた。

 途中国境付近の守備にあたる灌嬰の十万の軍と合流し、三十万の兵力で楚を迎え撃つ算段であった。

 

 

 裏切りや変心、謀議、詐略などは一般に悪行とされているが、それを実際に行う者は、自分の行為を悪行とは思っていないことが多い。それを行う者にとっては、大いなる目的のためにとらざるを得ない正しい行為であり、事実それが成功すると、後世から正義として認められるのである。

 たとえば夏の桀(けつ)王や殷の紂(ちゅう)王はそれぞれ暴虐の王とされているが、彼らを滅ぼした殷の湯(とう)王、周の武王が自分の行為を正当化するために史書にそのように記録させた可能性は充分にある。

 

 このとき、斉の二五百主(千人を統帥する長)であった郭尹(かくいん)という人物にも、自分の行為が悪であるという認識はなかった。彼の行為は信念に基づいたものであり、充分に成功の可能性があったのである。

 

 郭尹は即墨の代々田氏に仕える名家に生まれた。祖先には宰相や将軍となった者はいなかったが、着実に軍功をあげ続けることにより褒美として得た土地を広げ、尹の代に至っては、即墨に郭家あり、とまで謳われるようになった。

 郭尹がどういう人物だったかというと、一言でいえば守旧派である。これは保守派ということではなく、どちらかというと復古主義者というべきであり、現状を維持するというよりは、何ごとも太古の昔を理想とする人物であった。革新よりは伝統、機能性よりは見た目の荘厳さを重視した彼は、戦場に立つときにも古式にならい、戦車を利用するのが常であった。

 

 この時代にはすでに軍の主力は騎兵が中心となっており、郭尹もそれは認めざるを得なかった。しかし、彼の考え方からすると、馬に跨がって戦うのは雑兵のすることで、かりそめにも王を称する者が自ら馬に跨がるなど、もってのほかだった。

 このため、郭尹の目には、項羽や韓信は王として映らないのである。春秋から戦国の中頃までは、中原の文明人は戦車に乗って戦うのがならわしであり、馬に跨がって戦うのは胡人(北方の異民族)である、とされていたが、郭尹はこの時代になってもその考え方を維持していたのである。そして裾の長い長衣を着て、戦車に乗り続けることを自らの誇りとしていた。

 

 しかし何ごとにも実用的なものを優先させる傾向の強い韓信は、臨淄に戻る途上で、早々に郭尹の率いる戦車隊を解散させてしまった。

「戦車などは、敵に与える威圧感は相当なものだが、小回りが利かない。まして山中や隘路での戦いでは戦車自体が足手まといになることが多いのだ」

 

 韓信のこの発言は理にかなったものではあったが、郭尹の自尊心をおおいに傷つけた。しかし郭尹はこれに素直に従ったばかりではなく、驚くことに不満を漏らす者を厳しく折檻したのである。そして自らも胡服を身に付け、熱心に馬術を鍛錬した。韓信は郭尹の態度を賞賛し、それまでの二五百主から二階級上げて校尉(一万人統帥の長)とした。

 かくて郭尹は韓信の信用を得ることに成功した。少なくともそう見えた。

 

 首都の臨淄に集結を果たした斉軍の指揮官たちは、王の韓信よりそれぞれ印綬を手渡される。

 しかし、その場に郭尹の姿はなかった。

 不審に思った韓信が周囲の者に聞けば、郭尹は病のため、今回の動員には参加できない、とのことであった。

 

 しかし郭尹の配下の兵はおおむね臨淄に送られてきていたので、作戦自体に影響は少ないと考えた韓信は、そのまま兵に号令して行軍を開始した。

 このとき曹参は国内の守備のために臨淄に留まり、韓信は魏蘭にも残るように言い含めたが、蘭は頑としてそれを断り、韓信と行動をともにしている。

 

――何やら胸騒ぎが……。いやな予感がするのは、この間の曹参さまとの会話のせいかしら……。

 そう思うと、目の前の斉兵の誰もが疑わしく思えてならない。歩兵のひとりが小石につまずいて歩調を乱すのにさえも、どきりとさせられる。

 

 なかでも韓信の信任が厚いとされる郭尹が不在というのは、かえすがえすも残念なことに思えた。蘭は郭尹という人物とは懇意ではなかったが、悪い印象を受けたことはない。

 まして他ならぬ韓信が信用して校尉に任じた人物とあっては、疑う理由はなかった。

 

 しかし、軍が臨淄を出てまもなく泰山の麓にさしかかったころ、蘭はこの重要な局面に不在を決め込む郭尹の行動の不自然さに気がついたのだった。

 

「将軍……校尉郭尹の配下の兵の様子が……どことなく変でございます。落ち着きがないというか……なんとも口では言い表せないのですが」

 蘭はついに韓信に不安をぶつけた。これに対し韓信は、沈思の表情で、

「うむ……そのようだ。郭尹が病に伏せているというのは、実は私も疑っている。あるいは彼がなにか企んでいるのではないかと……しかし、確証はない。いずれにしても私は、このようなこともあるかもしれないと思い、手は打ってある。郭尹が裏切れば討ち、裏切らなければ、なにも起こらない。大丈夫、考えてある。君は心配しなくてもいい」

 と答えた。

 そして蘭の細い肩に優しく手を置き、微笑みかけたという。

 

――ああ、将軍……。

 韓信の手のぬくもりは、身に付けていた武具を通してしか伝わらなかった。皮の肩当て越しに置かれた彼の手の感触は、実際にはほとんど感じられない。

 

 それでも蘭は自分の足の力が抜けていくのを感じた。さらには、下腹部から局部のあたりにかけて、むずむずとした感覚を覚えた。

 

――このようなときに、私はなにを……

 蘭は常になく今日の自分が韓信を求め、欲情していることに気が付いた。しかし、それがなぜなのか具体的にはわからない。ただ、臨淄を出たときから抱き続けている胸騒ぎにそれが起因していることだけは、確信があった。

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