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第 四 部

 

逆 臣 と は( 続 き )

 

 陳から雒陽まで運ばれる間、韓信はあまり自分の不遇について考えないようにした。考えるほど深みにはまって抜け出せなくなり、ついには狂人となってしまうと恐れたのである。

 道中空腹を感じたが、それも忘れるよう努力した。手枷をはめた状態では、自分で食物を口に運ぶことは出来ない。他人の手で食わせてもらうことを想像すると、このうえもない屈辱を感じるのだった。

 

 車窓から外の様子をうかがうと、自分を護送する部隊がひどく小規模であることに気付いた。目立たないように配慮された結果かもしれないが、これも彼としては不満である。

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――なめられたものだ。

 武芸にもある程度の自身を持っていた彼は、自分に対する警戒が甘いことに対してそう感じる。

 しかし、もともと叛逆する意志がなかったことを思えば、このような不満を持つことはおかしい。あるいは自分はここで剣をふるってひと暴れし、ここでひとりで叛逆するつもりなのかと自問してみたりした。

 しかし、そんな行為は叛逆とはいえない。それは単なる収監を恐れた受刑人の脱走行為であり、仮にも王を称する者のとるべき行動ではない。

 やってしまいたいという衝動がないとは言い切れなかったが、その後のことを考えるとためらわれた。

 性格的に無計画なことを嫌った彼は、事態をただ受け入れることに徹することにした。

 しかし、これも自分の将来が見えなかったことに変わりはないので、やはり無計画であった。

 

――だいいち、手枷をはめられた状態で何が出来るというのだ……。

 反抗を諦めた彼は、心の中の不満を和らげるよう、考え直すことにした。護送を指揮する士官は、優秀で皇帝からその能力を信頼されている者であるに違いない、と。囚人が暴れだしても落ち着いて対応できる能力を持っているからこそ、このような小部隊で自分は護送されているのだ、と考えるようにしたのである。

 

 雒陽の手前、潁水のほとりの許の城外で、一行は小休止をとった。ここで韓信はその士官と実際に話をすることになる。

「お疲れでしょう」

 動きを止めた車の中に乗り込んできたその士官は、そう言いながら一皿の食事を差し出した。

 しかし、その皿には鳥の干し肉を焼いたものが一切れだけのせられているだけだった。

「なにぶん食料の蓄えが少なく……申し訳ありませんがこれで我慢してください」

 士官は、そう言いながら韓信の手枷を外した。

 

「いいのか? 枷を外したりして……。私の腰にはまだ剣があるのだぞ。もし私が剣をとり、暴れだしたらどうする気だ」

「……困ります。しかし、大王はそんなことはなさいますまい」

 

「確かにここで君を殺したとしても、逃亡の日々が待っているだけだ。私はそんなことはしない。もともと無実なのに、いまここで剣を振るえば、私は本当の意味で犯罪者となってしまうからな」

「その通りでございます。それに私は、危険だからといって大王の剣を取りあげるわけには参りませぬ。その剣は、大王の武勇の証。ひいては今ここに天下が定まったのも、大王のその剣が折れることがなかったからでございます。どうしてその剣を私が取りあげることができましょう」

 士官の表情には、韓信を恐れている様子はなかった。

 かといって憐れんだ目で見ているわけでもない。それとは逆に、かつて不敗を誇った韓信と直に会話できることを純粋に喜んでいるようであった。

 

「君は気が利く男のようだな。実は私はいま腹が減って仕方がなかった。しかし人に食わせてもらうのは、私の矜持が許さない。この手枷をどうしたものかと考えていたところなのだ。それを君はいとも簡単に外してくれた。……これは私を信用する、ということなのか」

「信用するもなにもありません。大王は、無実なのですから」

「……ああ、そうだ。しかし、政治というものはときに無実の者を獄に落としたりする。私はそのいい例だ。あるいは私のような者が生き残り、好き勝手に振る舞うことは天下の平和のためには障害となるのかもしれぬ。悪いことは言わない。私にあまりよくしてくれるな。君の立場を微妙なものにしてしまう」

 

 そう言って、韓信は鶏肉を食べ始めた。雒陽に着いたら即刻牢獄に入れられて、満足な食事は出来ないかもしれない。量は少ないが、よく味わって食べたいものだ。

「大王は……今後のことが恐ろしくはないのですか」

 士官は質問し、食事に集中させてくれない。

 

「それは……私だって人並みには恐ろしいさ。しかし……これは天罰かもしれん。やれ不敗だの常勝だのと言われたって、私のこれまでしてきたことは、人殺しに他ならない。私に殺されてきた者たちは、皆等しく恐ろしかったに違いないのだ」

「しかし、大王は使命としてそれをやってきたに過ぎません。それをするように命じたのは皇帝であり、天罰を受けるとしたら、大王ではなく皇帝ではないでしょうか」

 

 韓信はその言葉を聞き、もはや食べてはいられなくなった。

「……君のことを私は皇帝の忠実な臣下だと見ていたのだが……君は罪は皇帝に帰せられるべきだというのか。めったなことを言うものではない。首が飛ぶぞ」

「確かに私はいままで忠実に皇帝にお仕えしてきました。それを正しいことと信じ、疑うことをしてきませんでした。……しかし、今に至って言えることは……この王朝は駄目だ、ということです。宮中はすでに戦後の利権を貪る輩で埋め尽くされ、陛下ご自身も自分だけの国家を作ることしか頭にありませぬ。……私欲のかたまりでしかありません」

「…………」

 

「そもそも創業のために命を賭けた大王のようなお方を捨て駒にする王朝に未来があるとは、どうしても思えませぬ」

「君は……皇帝の味方なのか、それとも私の味方なのか」

「……現時点では皇帝の臣下であることには違いありません。ですが、私は以前から大王のことを尊敬して参りました。いつか、お近づきになりたいとも……」

「……では聞くが、私がついに皇帝に叛くと決めたときには、君は力添えをしてくれるか? ……いや、例えばの話だ」

「そのときは、謹んで馳せ参じます」

「……その時が来るかどうかはわからない。私は明日にでも殺されるかもしれないのだ。もし、生き残ることができたら……そのようなときも来るかもしれない。君の名を聞いておこう」

「……陳豨(ちんき)。陳豨と申します。梁の宛胊に育ちました」

「うむ。覚えておこう」

 

 このとき、韓信は本当に陳豨とともに皇帝に叛くと決めたわけではなかった。そんな先のことよりも、明日、まだ自分の命があるかどうか……そのことの方が喫緊の課題だったのである。

 

 

 韓信が雒陽に護送されたことを確認すると、皇帝は天下に大赦令を出し、多くの罪人を解放した。

 このことを聞いた韓信は、さすがに面白くない。

――私を捕らえることが、それほどの慶事だというのか。無実だというのに……。

 

 不満を覚えた韓信だったが、それでも現状に満足すべきだっただろう。彼は死罪を免れたのである。

 

 よかった、と安堵する気持ちがないわけではない。

 しかし一方でなにも悪いことはしていないのだから当然だ、という思いは常に頭の中にある。

 このとき韓信に与えられた処分は、王位を取りあげて淮陰侯に格下げする、というものであった。

 

 これを受けて楚の地は二分され、東を荊国として従弟の劉賈を王とし、西を楚国として弟の劉交を王としている。またこのとき劉邦は、息子の劉肥をたてて斉王とした。

 かつて韓信が王として治めた国に、それぞれ劉姓をもつ親族が王として擁立されたのである。このことを考えてみれば、やはり韓信には罪はなく、同姓の王を擁立するための口実に過ぎなかったと言わざるを得ない。

 

 楚はかつて項羽を輩出した土地でもあるので、当時の朝廷としては統治するにあたって慎重を期したことは想像に難くない。

 また、斉も七十余城を有する大国で「西の秦、東の斉」と呼ばれるほどの重要な軍事上の要所である。さらに海に面した地でもあるので、物産も豊富である。このような土地は直轄の郡として統治するのが理想であるが、急激な中央集権化は秦の時代のように庶民の反発を招く。よって直轄地とするのは無理でも、なるべく朝廷の立場に近い者に統治させることが望ましい。

 韓信が罪に問われたのは、そのことだけが原因のように思われる。

 

 しかし韓信が斉王を称したのは当時の状況を考えれば他に方法はなく、それを認めた劉邦の罪であろう。

 というのも韓信は斉王を称するのは当座の方便として、自らは仮の王となることを奏上しているのである。それをやけになって真正の王としたのは劉邦自身であった。

 つまり韓信は劉邦の統治策の間違いのとばっちりを受けたに過ぎない。

 

 彼に与えられた処分にも、そのことは見受けられる。楚王から淮陰侯への格下げという処置は、逆臣という大罪人に与えられる処分としては、軽すぎる。

 もし韓信に本当に謀反の事実があれば、ふつう死罪は免れない。それなのにそうしなかったのは劉邦の目的が韓信に兵権を与えないことにあり、制御可能な範囲内で、功績に応じてやりたいという思いがあったからに違いない。

 つまり一国を与えるのはやり過ぎだった、というわけである。

 これはしかし彭越や黥布などの異姓の諸侯王に関しても同じであるので、韓信が自分だけに与えられた処置に不公平感を抱くことは避けられない。

 

 だが当時の朝廷が、もっとも危険と考えられる男から順番に処理していった、と考えればこのことも説明は可能である。というのも彭越や黥布らも最後には韓信と同じ運命を辿ることになるからであった。

 

 このとき韓信に与えられた淮陰侯という地位は、漢の爵制のなかの「列侯」にあたる。列侯とは秦・漢時代に採用されたいわゆる二十等爵のなかの最高位で、封邑(領地)が与えられるほか、賦役や罪の減免の対象となった。

 この場合、韓信に淮陰を領地として与えたことになり、王とは支配する領域の大きさに雲泥の差があるとはいっても、彼が君主である事実には変わりがなかった。

 

 通常列侯はその封邑に実際に赴き、諸官を従えて権力を世襲するものであるが、中央の官職についている者はこの限りではない。また何らかの理由で皇帝から首都にとどまるよう命じられている者もあったようである。

 韓信が封邑である淮陰に赴いて、故郷の土地の行政に尽力したという記録は史料に見受けらず、どうやら彼は首都に留められた部類に属するようであった。前後のいきさつから推察すれば、彼は首都に軟禁されたと見るのが自然だと思われる。

 

 韓信を封邑に行かせれば、彼は地元で兵を募り、それを朝廷を転覆させる規模にまで発展させるかもしれない。よって皇帝としては、彼に最低限の名誉だけは与えておき、中央で監視しておくに限る。つまり、皇帝は実質的に韓信の兵権を奪ったのである。

 兵無き名将は、飛べない鳥と同じ……あるいは走らない馬と同じである。

 劉邦は韓信の危険性を警戒し、彼をそのような立場に追いやった。

 しかし繰り返すようであるが、これは温情的措置である。

 劉邦は皇帝であるので、罪状もなく韓信を殺そうと思えば、殺せた。そうしなかったのは、劉邦が韓信の才能を危ぶみながらも惜しんだからであり、ともに死地をくぐり抜けてきたという一種の友誼を感じたからに違いない。危険な男なので除きたいが、殺すには忍びないという劉邦の微妙な心理がこの施策にはよく現れている、といえるだろう。

 

 またこのことは、逆臣でない者を逆臣として扱うことに徹底さを欠いた、とも言える。

 生かされた形の韓信は、実はまったく逆臣ではなかったために、自分に課された処置が不当なものと感じざるを得なかった。彼は自分がなぜ才能や功績においても数段劣る周勃や夏侯嬰、樊噲たちと同じ身分なのかと自問し続けるようになった。

 もちろん理由はわかっている。性格的なものや、実際の行為によるものではなく、持っている才能そのものが危険だからであった。だからといって才能はすでに身につけられているものなので、捨て去ることはできない。自分ではどうにもできない悩みなのである。

 

 後世において、このときの処分は韓信が才能を鼻にかけ、大きすぎる功績に驕ったために招いたものである、と評されることが多い。確かに漢を擁護する立場に立てば、そう説明するしかないかもしれない。

 だが韓信の側から見れば、やはりこれは不当な措置であったとしか言いようがないのである。

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