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第 二 部

 

我 は 仮 王 に 非 ず

 

 

 曹参はもと沛の獄吏であった男で、そのころから蕭何の下で働いていた男である。

 その彼が上役の蕭何と諮り、ごろつきの劉邦を担ぎ上げたところから漢王朝の歴史が始まった、と言っても差し支えない。のちに蕭何の死後、漢の二代目の相国として王朝創業時の混乱期を支えたことから判断しても、いかに彼が重要な人物であったか想像することは難しくないだろう。

 

 しかし、劉邦が彭城で惨憺たる敗北を喫してから皇帝に即位するまでの間、彼に与えられた役割は、ほぼ一貫して韓信の下の一武将として働くことであった。

 魏豹を征伐する作戦に招集されたのに始まり、代、趙の制圧、続いて斉の攻略……。曹参がこの間に韓信のもとを離れたのは井陘の戦いの後から斉へ出撃する間までしかない。

 劉邦の意図が、自立の可能性が高い韓信の行動を監視させることにあったとすれば、信用できる重鎮である曹参にその役目を与えた、ということであろう。しかし疑惑のある韓信に替えて曹参を大将に任じた、という事実はなく、これは曹参の才が韓信のそれを上回ることがなかった、ということを意味している。

 

 韓信は言葉にこそ出さなかったが、そのことを後ろめたく感じ、曹参と会うときには遠慮がちに言葉を選びながら話すことを常としていた。

 だが、当の曹参はあまりそのようなことを気にせず、おおらかに、細かいことを言わず、包み込むような態度で韓信と接したという。

 のちに蕭何の跡をついで相国となり、人民を統治するにあたり「静」・「清」の二点を重んじて善悪正邪を併せ入れることに徹したという彼の性格の一端が、ここに顕われている。

 

 この当時の曹参は武将であったが、韓信は曹参のそのような点を信頼し、斉国内の鎮撫を含めた内政の大部分を彼に任せ、自身は国境付近を渡り歩いて再び楚が介入してくることに備えている。

 

 その曹参が使者をよこして、韓信に訴えた。

 言上は次の通りである。

「斉の住民は漢の支配を快く思わない様子……。民衆は我々に石を投げつけ、武威を示しても畏怖する気配もなく、日夜、騒動が絶えない。このまま放っておくと騒動が反乱となり、反乱は戦争に至る。私が思うに、これは斉の住民の不安が引き起こした事態である。彼らは王国の維持を期待し、斉が漢の一郡となることを欲していないのだ」

 

 この言を受けて韓信は臨淄に向かい、それとなく住民の様子を観察した。

 しかし臨淄の街道は戦時の混乱期にも関わらず、以前と変わらぬ賑わいを見せ、表面的には不穏な空気は感じられない。住民に対しては、たとえ領主が変わっても自分たちの生活には干渉させない、という意気込みさえ感じた。

 

 ただし、臨淄の風景は、韓信が想像していたものと、やはり若干違った。

 

 彼は臨淄を学問の都として捉えていたのである。

 戦国時代の斉は学問を奨励し、諸国から集まっ

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た学者たちに臨淄の南門にあたる稷門(しょくもん)周辺に邸宅を与えて住まわせていた。

 彼らはそこで日夜論議を交わし、研究にいそしみ、これが斉のみならず中国全体の文化発展に寄与したのである。これらの学者たちは稷下の学士と呼ばれ、その代表的人物として、かの孟子や荀子がいる。

 

 しかしこのときの臨淄の街角では、人々は闘鶏に興じ、たむろして博打を打っている。

 辻には怒号が飛び交い、路地裏にはならず者たちが闊歩していた。

 活気があることは確かだが、殺伐過ぎていて、それが健全な活気であるとはいい難い。学問の都だからといって町中の人間が皆学者であるはずもなかったが、もう少し秩序のある世界を韓信は想像していたのだった。

 

 実際に臨淄の様子を見て不安を抱いた韓信は、城内の父老連中を招き、議論の場を設けた。民衆の心を安んじるには、まず父老から、というのがこの時代、この国の定石である。

「……私が見るに、斉の人心は荒れているようだ。私の認識では、臨淄とは諸国から学問を志す者が一同に集結する場所で、百花繚乱の文化が花開いた土地であったはずだが、実際に見てみると、とてもそのような印象は受けない。これは単に私の認識違い、ということなのか。それともなにかの原因によって民衆はすさんだ心を持つようになった、ということなのか」

 

 これに対し、父老たちは若い韓信を鼻で笑うような態度をとった。

「臨淄は学者だけの町ではござらぬ。鉄、銅、織物……。これらの産出量で臨淄の右に出る城市はないであろう。臨淄は当代きっての工業都市なのだ。ゆえに、城内にはいろいろな者がいる。その中には性格が穏やかな者も、荒い者もいるであろう。その中で荒れた者が目立つのは自然なことだ」

 

 父老の一人はそう語ったが、臨淄が大都会であることを誇りとし、それがあたかも自分の功によるものであるように語るのが、韓信には気に入らなかった。

「なるほど臨淄は大都会で人口も多く、さまざまな性格の者がここに居住している。しかしだからといって、人民が兵に石を投げつけたりすることを座視するわけにいかない。趙の邯鄲は臨淄と同じような都会であったが、このようなことはなかったのだ」

「経緯が異なる。臨淄の住民は、斉の王室になにが起きたかを知っているのだ。つまり、漢によって騙され、誑かされて滅びたということを、だ!」

 

 

 その挑戦的な物言いは、韓信の心を大きく揺さぶった。

 しかし、韓信にも反論できないことはない。

「斉を騙し討ちにする意志はなかったが、結果的にそうなってしまったことは事実として認めよう。しかし、私にも言いたいことはある。斉の王室は騙されたことにより、大きな国内の争乱を伴うことなく、滅んだ。君たち住民にかける迷惑はなかったとは言わないが、最小限にとどめることができたはずだ」

 

 父老たちは互いに顔を見合わせ、

「聞いたか、これこそ詭弁よ……。そもそも漢が攻めてこなければ、なにも起きず、なにも変わらなかった。斉は斉人によって治められることを望む。漢の支配を歓迎するはずがない」

と、韓信に向かって口々に言い放った。

 

 韓信は彼らを説き伏せねばならない。

 もちろん一人残さず斬ることはできたが、そうしてしまっては民衆に反乱の種を植え付けるだけのことである。

「……君たち父老は、それほどまでにもとの斉王のことを敬愛していたというのか?」

 韓信はあえて言葉尻に嫌みを加えて、父老たちに向けてこの言葉を発した。

 

「……無論である」

「それは嘘だ。もし本当なら、遠巻きに石などを投げつけるのではなく、より我々が確実に死ぬ方法で攻撃すべきだろう。我々はそれなりの軍備を保持しているが、君たち民衆に比べればはるかに寡勢なのだからな」

「……かつてこの地に暮らした学者たちは、そのような行為を非文明的だと批判したものだ。我々も同意見だ」

「そうかな? 私の見る限り、臨淄の街道には命知らずを気取った連中が何人もいたようだったが? 君たち自身ができないというのであれば、彼らに命じるなり、褒美をとらせるなりしてやらせればいいだろう。どうしても斉の王室の復権を望むのであればな」

「…………」

「むろん、そんな状況になって私が黙っているはずがない。君たち民衆に比べれば、我々が寡勢であることは先に述べた通りだが、それでも精一杯抵抗を試みるとしよう。しかし君たちが優勢であることは動かしがたい事実だ。よって、早く行って町のならず者どもに命じるがいい。漢を称する逆賊どもを皆殺しにせよ、と。檄を飛ばして我々の非を打ち鳴らせ。……聞くところによると、田横はまだ存命であるとのこと。彼を担ぎだせば斉を再興する大義名分も立つ」

「…………」

 

 父老たちは、なにも言わなかった。

「どうした。……できないか? そうであろう。できないに違いないのだ。理由を説明してやる。一言でいえば、君たちが斉の王室のためにそこまでする義理はないからだ。つまり、君たちにとっては我々も斉の王室もたいして変わらない。どちらとも存在しなければ自分たちが自由気ままに生活できる、その程度の存在だからだ。したがって君たちが我が兵に石を投げるなどの行為は、単なる日ごろの憂さ晴らしであり、それに大義名分はない。我々が斉の王室を騙して敗走させたことなど、後からとってつけた理由に他ならないのだ」

「…………」

「君たちは青二才の私を手玉に取ろうとし、どうせ支配される身であればより良い条件で、と望んだ。斉の民衆は戦乱に馴れ、自分たちの安全のためには嘘偽りを申す者が多く、なおかつ腹黒い者が多い、と聞いていたが、なるほどその通りであった。私を強請(ゆす)り、脅迫すれば賦役が免除されるとでも思ったか。思い上がるな!」

 

 韓信は議論で相手を威圧することには馴れていなかったが、ここは精一杯の努力をし、父老たちを恫喝した。

――自分は、やはりしょせん武の道にしか生きられない男なのだろうか。戦場に出ることもせずに権謀を弄する輩が、これほど気に入らぬとは……。

 

 言葉を失った父老たちを前にして、韓信はそう思わずにはいられない。自分が完全に正しいとは信じられないが、目の前の父老たちが正しいとは、どうしても思えない。

 

 いったい正しいこととは何なのだろうか?

 

「相国さまのおっしゃる通りでございます……。私どもはしょせん自らの道を自ら決めることができず、自ら行動も起こせない弱虫でございます。しかし私どもはそれでも市井の者どもを導き、保護する立場にございます。相国さまには不愉快な思いをさせたかもしれませぬが、これもひとえに斉の民衆を思いはかっての行動にございます」

 

 父老の一人のこの言葉を聞いて、韓信は自信がなくなった。やはり正しいのは相手の方ではないのか。どうにかして、反発したい。

「口先ではなんとでも言える! 君たちのその一貫性のなさはいったい何だ? 斉の民衆を思いはかって、だと? 嘘をつく奴は決まってそういうことを建前にするものだ。やれ人のために、社会のために、と言うが、私にとって嘘をつく奴の本質は変わらない。……自分を守ろうとしているだけだ。民衆や社会なんてものは建前に過ぎぬ!」

 

 父老たちは互いにささやき合い、相談している様子だったが、やがてひとつの結論を出したようだった。代表と思われる人物が話し始める。

「相国さまはまだお若いようで、人の心がどう動くのかご理解していらっしゃらない様子……。よいですか、相国。世の中に嘘をついたことのない者など、皆無なのです。仮にあなたさまがこれまで嘘をついたことがないとしても、これから先には必ず嘘をつく必要性に迫られましょう。……しかしながらあなたさまの心は清廉にして、そのようなことを避けたいと願っていらっしゃいます」

「そのとおりだ。なるべくなら民衆とは本音で語り合いたい。君たち父老ともだ。私は常にそう願っている。……しかし、それは私の心が清廉だからではない。私は敵と戦うにあたって、常に相手を騙し、裏をかくことで勝利してきた。……私が人と真情で向き合いたいと望むのは、その裏返しに過ぎぬ」

「しかし、政治というものは一種の戦場でございます。あまり相手を信用すると、それこそ裏をかかれるものです。どうか、我々を信用なさってください。相国さまには気に入らないことも多いとは思いますが、そこを我慢してくだされば、住民に嘘をついて従わせるなどの汚れ仕事は我々が引き受けます」

 

――それでは、私は傀儡ではないか。

 韓信は思う。政治とは、やはりいやなものだと。

 

 だが、自分が制圧した土地だからといって、必ずしも自分が統治しなければならないわけでもない。自分がこうして指導的立場に立っているのは当座の方便であり、その間に先頭に立ちたがる者に立たせてやるのも、あるいは一種の統治策といえるのではないか。

「……諸君の言動は、甚だ不遜で、私としては虫が好かない。手のひらを返すように前言を撤回する態度も気に入らぬ。しかし我慢することにしよう……。思うに諸君は首を切り落とされることも覚悟で、ここに来たのだろう。私は諸君のその気構えには感服している。ゆえに諸君の願いをひとつだけ、聞いてやろう。包み隠さず、申せ」

……斉は春秋時代、最初に天下に覇を唱えた国にして、古くは太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう・周の建国に貢献した人物。釣り好きであったことから現代でも釣りを趣味とする人を太公望と呼ぶ)や桓公(かんこう・春秋の五覇の一人。五覇のうちもっとも最初に覇を称し、斉を諸国間で第一の存在にした)などの偉大な支配者、また管仲(かんちゅう)や晏子(あんし)などの名宰相を生み出した国でございます。国民はみなそのことを誇りとしており、いま田氏が追われ、滅びたのを機に、その国名が失われることを嘆き、恐れております。おそれながら相国には斉という国名を残すことを、お願い申し上げたく存じます」

 

 韓信は実はほんの一瞬頭の中で戸惑ったが、父老たちにはそうと悟られぬよう、毅然とした口調で言い渡した。

「いいだろう。……ただし、自治を認めるということではないぞ。それにそのことを決めるのは私ではない。漢王がお決めになることだ」

 

 

「お見事でした」

 曹参はそう言って讃えたが、韓信としては結局してやられたように思う。

 そもそも城邑の父老などは、領主が変われば贈り物を用意して取り入ろうとするのが普通である。それに比べて斉の父老たちときたら……。結局はなめられたように思われるのであった。

 

「本当にそう思いますか? しかし実を言って私には斉をどう治めてよいのか見当もつかない。父老たちにはあのように言ったが、本当は自治してもらった方が楽なことは確かだ。しかし……占領しておいてまさかそうするわけにもいくまい」

 曹参は韓信に同調したが、ここで意外なことを言った。

「斉の民は農奴や子供に至るまで謀略に慣れ親しみ、信用できません。自治はおろか彼らの親しむ者を王に擁立することさえも、危険過ぎます。よって斉は漢が統治すべきで、もし斉を王国として残すのであれば、漢の者を王としてたてなければなりません。……相国、お立ちなされ」

 

 韓信は曹参の言葉を聞き、少なからず動揺した。

「! ……冗談でしょう。私などより……君の方が適任だ。識者だし、人望もある。漢王も君ならば信用するでしょう」

「まさか。私はかつて蕭何とともに漢王を擁立した身。その私が自ら漢王と並び立つわけにはいきません。私には相国のような知謀も少なく、王となっても国を守ることはできないでしょう」

「私なら、それができるというのか?」

「他に誰がいるというのです?」

「…………」

 

 しかし、一武将に過ぎない自分が勝手にそのような決断をしても構わないものだろうか。韓信は漢の将の面々を頭に浮かべ、王にふさわしい者がいるか考えを巡らせた。

 

 黥布には淮南王の地位が約束されている。

 彭越には梁(魏の東半分)の地を自由に切り開く権利が劉邦より保証され、ゆくゆくは、かの地で王位につくに違いない。

 その他盧綰や周勃、樊噲をはじめとする劉邦の子飼いの連中……忠誠心はあっても能力的には疑問符が残る。

 韓信は彼らを見下していたわけではないが、彼らが王に向いているかと問われれば、否定せざるを得ない。

 

 武力だけでは単なる暴虐な王が誕生しやすい。

 知力だけでは政策が陰謀に傾きやすく、民が心服しないこと甚だしい。

 

 王になるには人徳が不可欠である、とはこの国の定説であるが、では人徳とはなにか、ということになれば明確な定めはない。

 しかし韓信はそれを武力と知力の均衡である、と考えていた。そして人に対する厳しさと優しさの均衡、さらには鋭気と自制の均衡、それを持つ者のみが人々の尊敬を集め、運に恵まれると結果的に王位に就くことになる、と考えていた。

 

 では自分はどうかといえば、韓信としては自分自身をいくらでも否定することができた。

 武力と知力は兼ねそろえているつもりではいるが、それは軍事に限ったことで、政治にそれを応用できるかといえば、自信はない。

 人に対して厳しいか、といえば、あるいは自分は優しいといえるかもしれない。

 しかしそれは表面的なもので、基本的に彼は自分を含め、人が嫌いであった。自分の優しさは他者と深く関わることが嫌なことの裏返しであることが、彼自身にはわかっている。

 そして自分には鋭気などない。

 もともとはあったのかもしれないが、彼は相手の鋭気を利用することを得意としたため、自分自身はそれを持つことを極力避けてきたのである。

 

 鋭気がないのに自制などしようもなく、この点においても自分は不適格者だと、考えたのだった。

 

 しかし曹参の言うように、他に誰がいるということになれば、やはり思いつく人物はなかった。

 韓信には本気で曹参自身にやってもらいたい、という思いがあったものの、冷静に考えてみればそれもやはり無理な話である。

 

「立たれよ、相国」

 

 曹参はもう一度韓信に言った。韓信は戸惑いつつも、決心を固めねばならないと自分に言い聞かせた。

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