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第 二 部

 

滎 陽 脱 出( 続 き )

 

 

 周苛は沛の城下に生まれた。

 青春時代に劉邦と巡り会い、雷鳴に打たれたような衝撃を受けた。しかしそれは決して良い意味ではない。

 

――世の中には、こんな男もいるのか。

 劉邦は沛の城下の酒場に入り浸っては、いつもツケで酒を飲み、金を払う意思はまったく無かった。酒場の主人からはさぞ煙たがれる存在であろうと思われたが、想像に反して彼らは喜んでいたという。

 劉邦がいる店には、劉邦を慕う者が多く集まり、そのおかげで酒場の収支は黒字になるらしい。劉邦自身は金を払わないが、取り巻き連中の支払いが、その損失を埋めてくれるのである。

 

 些細なことではあるが、謹直を旨として人生を歩んできた周苛にとっては、信じられない世の中の矛盾であった。

 

――世間というものは、真面目な者だけを受け入れるものではないらしい。

 周苛は、劉邦のそばについてその生き方を学びたいと考えるようになった。謹直な者ゆえの思考回路であろう。やがて劉邦が挙兵し、泗水郡一帯を平定した際に、周苛は劉邦の食客となった。

 

 もともと、自分が武勇に長じた男でないことは、周苛も自覚している。食客とは主人から経済的援助を受けるかわりに、さまざまな形で主人の行動を助け、時には生命をかけてその危地を救わねばならない存在である。ところが謹直なこと以外にとりたてて取り柄のない周苛には、主人の劉邦の危地を救う機会が訪れなかった。

 

 それにも関わらず、劉邦は漢王となると、周苛を御史大夫に任命した。

 御史大夫とは、王の側近中の側近で、政策の立案やその執行状況を管理する副宰相格の地位であり、これは破格の待遇というべきものである。

 劉邦は常に適当な態度を構えながらも人を見る目に濁りがなかった、と言われているが、このときも謹直な周苛に対してその能力に応じた地位を与えたのだろう。

 

「身分不相応な待遇を与えられながら、その知遇にこれまで応えられず、大王を後悔させること久しい私ですが、ようやく長年にわたる恩義に報いる機会に恵まれました。滎陽の守備には不肖私が将を務め、一命をもって大王のご脱出の手助けをいたします」

 

 真面目な周苛らしい整った口上である。しかし、この周苛の言を劉邦は喜ばなかった。

「お前を厚遇したのは、ここで死なせるためではなく、のちのちお前には活躍の場があろうと思ってのことだ。確かにお前には陳平のような人を誑かす謀略の才はなく、張良のような壮大な軍略もない。そして韓信のような軍の指揮能力もないが、お前の忠実で誠実な人柄は人民を統治するにあたって、必ず役立つのだ。活躍の場を間違えるな。お前は平時にこそ必要な人材だ」

 

 周苛は首を横に振りつつ、自嘲気味に答えた。

「おそれながら、平時に有用な人材は、私でなければならないということはなく、他に代替えの要員がいくらでもおりましょう。私が思うに、韓信将軍などは政務をとらせても、おそらく人並み以上にはこなせます。ですが、私に彼の代わりは務まりません」

「それを言うな。韓信の代わりになるような男など、そうそういない」

「わかっております……人には人それぞれの個性があり、能力もさまざまなものです。私は若い頃、大王のおそばで大王の生き方を学ぼうとつとめた時代がありました。また、先の韓信将軍の武功を耳にするにあたり、どうしたら自分に彼のような活躍ができるのか、思い悩んだ時期もありました。しかし、やはりしょせん私は私……。大王の真似をしようと思っても、韓信の真似をしようと思っても、どだい無理な話です。私は大王のおっしゃる通り、忠実で誠実なだけが取り柄の男。どうか大王にはそれを私に証明させる機会をお与えになり、私に滎陽で死ね、とご命令ください」

「……そんな命令は出したくない。考え直せ」

「しかし、私がやらなければ、他の誰かがやらねばならない任務でありましょう。にもかかわらず、どうしてもご命令くださらないとあらば、私は大王に信用されない立場を恥じて、いまこの場で死ぬことにします」

 

 周苛はそう言って、腰の剣を抜き、それを迷わず首に当てようとした。

「待て! ……仕方ない、命ずる。そのかわり他に副官を任命するゆえ、お前は可能な限り生き残ることを考えるのだ。これこそが、命令である」

 

 劉邦は滎陽の守備に周苛に加え、樅公(しょうこう)、韓王信、そして魏豹を残すことにした。

 しかし、のちに周苛は他の将と共謀し、魏豹は反覆常ない男で信用できず、共に戦うことはできないとして、殺害した。このことは彼のこの局面にかける思いが尋常でないことを象徴的に示している。

 

 

 その日、滎陽の東門が開き、中から二千人ほどの部隊が突出を始めた。楚兵たちは突然の展開にみな首を傾げたが、包囲している側としては、期待していた事態である。一斉に攻撃を始めた。

 

 しかし漢兵たちは抵抗もろくにせず、散り散りになって逃亡するばかりである。

 楚兵たちが追いかけてその姿形を確認してみると、どれも甲冑に身を固めた女であるらしかった。

 

 いぶかった楚兵たちが状況を把握できないでいるうちに、彼らの前に目にも眩しい黄色い布で全体を覆い尽くした車両が現れた。その車両は随所に牛や犛牛(ヤク)の尾を飾りとして施した大旗を靡かせており、いわゆる黄屋車(こうやしゃ)という漢王劉邦の専用車両であった。

 

「余は漢王である! いま余と余の軍は、城中の食が尽きたため、休戦を申し出る。戦闘をやめよ! 余は楚に降るであろう」

 

 楚兵たちはこれを聞き、みな感動して万歳を叫んだ。

「ついにやったぞ」

「これで国に帰れる」

 

 兵たちは武器を捨て、互いに抱き合い、無邪気に自分たちの勝利を信じて喜びを表現した。

 その隙に甲冑姿の女たちは四散して残らず姿を消した。

 あとには黄屋車だけが残った。

 しかしその車両も項羽の本陣までたどり着くと、主人の漢王だけを残し、滎陽城に引き返していった。

 

 知らせを聞き、奥から姿を現した項羽は目の前の男を見るなり、激怒した。顔中に広がる憤怒の色を隠そうともしない。

「貴様、漢王ではないな! 何者だ!」

 

 漢王を称したその男は、項羽の面前で付け髭をとり、上げ底をした履物を脱ぎ捨てた。そうするとまるで王の貫禄などはなく、意外なほど小男だったのである。

 項羽の周囲の者は、あっけにとられた。

 

「我こそは、漢王を詐称する逆賊紀信である! 楚の馬鹿者ども、その濁った目にこの姿をしっかりと焼き付けておくがいい!」

 

 項羽は頭に血が上り、相手の胸ぐらをつかんで恫喝した。

「貴様がどこの誰だろうと関係ない! 劉邦はどこだ」

「お前が何者だと聞くから答えてやったのだ。劉邦の行方など知らぬ!」

「この……無礼者め!」

 

 項羽は紀信を突き放し、唾を吐き捨てるように言い放った。

 しかし紀信はその様子を笑い、からかうようにして跳ね回る。

「お前が頭にきてあそこを攻撃しても無駄だ! すでに漢王は滎陽にはおらぬ。項羽の馬鹿め、人殺し、鬼」

 

 項羽はさらに逆上して紀信を指差し、周囲に向かって叫んだ。

「……こいつを、焼き殺せ!」

 

 自分の身が炎で焼かれていく状況を、紀信はあまり観察しないようにした。それを考えると、ともすれば「助けてくれ」と言いたくなってしまう。あと数刻で楽になれる、我慢だ、と思うようにして、あとは未来の自分に対する評価に思いを馳せることにした。

 

 家族が不本意ながら、幸せな生活を送っている姿が見える。ざまを見ろ。 

 

 兄と嫂が子供たちを囲み、弟の武功を誇らしげに話して聞かせる場面が見える。偽善者どもめ。俺はお前らのことが心底嫌いだ。

 

 それを想像すると不思議なほど気が紛れた。

 体はいつの間にか焼き尽くされ、紀信はそれに気が付くこともなかった。

 

 紀元前二〇四年七月、紀信の人生は死を目前にした最後の瞬間にのみ輝きを放ち、その蜉蝣のような一生は幕を閉じた。

 

 

 紀信が項羽に悪態をついている間に、劉邦や陳平らはごく少数の護衛を従え、滎陽城をあとにした。諸将もそれに次いで段階的に脱出をはかり、彼らはひとまず関中に入り、再起を期すこととなったのである。

 

 滎陽城には周苛、樅公ら少数の守備隊が残されている。劉邦には彼らを見捨てる気持ちはなかった。

「早く陣容を整え、滎陽を救うのだ」

 言うばかりでなく、劉邦は実際に行動に移そうとしたが、それを止めた者がいる。

「滎陽へ出ては、楚軍と正面から戦うことになり、これまでとなんら状況が変わりません。それよりも武関から南方面に出兵すれば、楚軍は滎陽を捨て置き、そちらに兵を向けることになりましょう」

 

 劉邦はその言をよしとして、河南の宛(えん)・葉(しょう)という地に出兵し、楚軍をおびき寄せようとしたが、結局滎陽を救うという目的は果たせずに終わった。

 

 紀信が項羽によって焼かれたのは七月のことで、その後、周苛が魏豹を殺害したのは八月のことであった。さらにそのひと月後滎陽城は攻略され、項羽の手に落ちた。

 周苛を始めとする残存守備隊が滎陽を守り通したのは二か月程度であり、その期間は短いようでいて、長いようでもある。

 

 劉邦が河南の地に出兵し、陽動を試みたが間に合わなかったことを思えば、短い。

 しかしそもそも食糧難を最大の理由に劉邦が撤退したことを考えれば、周苛らは長期間にわたって滎陽城を死守した、と評価するのが正しいかもしれなかった。

 少なくとも実際に敵として周苛と渡り合った項羽は、そう感じたようである。

 

「わしのもとで将軍とならぬか。上将軍として、三万戸の封地を与えよう」

 項羽は引見した周苛に誘いの言葉をかけた。敵を無条件に憎みぬくことを旨としてきたこの男にしては、極めて希有なことである。

 それだけ周苛は奮戦したということで、さしもの項羽も敵将の行動に美を感じた、ということだろう。

 

 しかし、周苛はそれをきっぱりとはねつけたのである。

 

「私は、常に勝つ側にいることを望み、敗れる側にいることを望まぬ。つまり、お前は、敗れて虜になるのだ。殺されたくなければ、せいぜい早めに降ることだ。お前など……漢軍の敵ではないのだ!」

 

 周苛は煮殺された。釜茹での刑である。

 この刑は、他の刑罰に比べて圧倒的に死を迎えるまでの時間が長い。当然被刑者が死の恐怖を味わう時間も長く、それだけに見た目以上に残酷な刑であるといっていいだろう。水温が徐々に上がり、それにつれて死が刻々と近寄るのを実感しながら精神の平衡を維持するのは大変なことで、大抵の者は途中で「助けてくれ」と泣き喚く。

 

 あるいは項羽は周苛が「助けてくれ」と言えば、助けたかもしれない。

 しかし、釜の中の周苛は、一切そのようなことは口にせず、目を閉じ、無言のまま息を引き取った。周苛は死ぬ瞬間まで自

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分に取り乱すことを許さず、謹直な男であり続けたのである。

 

 よって彼がどの瞬間に死んだのか、正確に知る者はいない。

 

 項羽はあわせて樅公を殺し、韓王信を捕虜とした。ここにおいて滎陽城はその役目を終えたのである。

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