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第 一 部

 

中 原 へ 進 出 す( 続 き )

 

 

 項羽が斉を相手にしている途中にも、断片的に情報は入ってくる。

 その中のひとつに、

「函谷関を出て東進をはかる漢軍によって、鄭昌率いる韓が敗れた」

というものがあった。

 

――劉邦が……まさかな。あの弱い軍がこれ以上進んでくるとは思わぬ。

 

 漢軍がそれ以上進撃を続けるには、いずれ自分と対峙しなければならない。自分の前で情けなく頭を地に付けた、あの劉邦にそれだけの度胸があるとは思わなかった。韓が敗れたというのは意外であったが、もし事態が憂慮すべき段階になったら、自分が行って徹底的に叩けばいい。そのくらいにしか考えなかった。

 

 しかし、漢軍の行動は項羽の想像より早い。

 劉邦は韓を撃ち破る漢軍の実力を示すと、天下に檄をとばした。その結果、いち早く魏が賛同の意を表し、魏王豹(ぎおうひょう)が劉邦のもとへ馳せ参じた。魏豹はかつて章邯に降伏し、焼身自殺した魏咎の従弟である。

 

 またこのとき漢は、張耳を追い払った陳余に対しても協力を要請している。

 陳余はこのとき、趙王に歇を戻し、自らは代王を称している。しかし国情を考えて領国の代へは行かず、そのまま趙の地に留まっていた。

 

 漢より協力を要請されたその陳余の返答は、以下の様であった。

「そちらに逃げ込んだ張耳を、漢が殺しましたら従いましょう」

 

 この陳余の言を受けて、漢の意見は割れた。

 

――いやな男だ、陳余という奴は。……それとも人というものは権勢に目が眩むと、過去の恩や友誼をすべて忘れることができる生き物なのだろうか?

 韓信は思い、無理に趙に協力を要請する必要はない、と主張した。こういう人物とはともに戦えない、と考えたのである。

 

 しかし盧綰や周勃など漢の旧来からの将軍は、反対の意見を主張した。

「兵は多いほどよい。なにしろ項王を相手にするのだからな。いくら項王が彭城に不在だからといっても用心するに越したことはない。また、天下を望むのであれば、いずれ趙も味方に引き入れなければならないのだ」

 

 実質的に章邯を破り、韓を破った韓信ではあるが、いまだその将としての実力は未知数であることからの主張である。

 漢将の多くは、韓信は勝利を得たが、それは敵国の王が民衆から支持されていなかったからで、韓信はそれに乗じることができたに過ぎない、と考えていたのである。

 

 しかしそのときの韓信にとってそのような評価はどうでもよく、目の前の問題だけが大事であった。

 彼が考えるに、取引によって生じた連合組織ほど信用できないものはない。数だけを揃えてみても烏合の衆では話にならず、かえって軍全体の把握が難しくなるだけである。

「陳余のような人物は、いざ状況が劣勢になると真っ先に自分の安泰をはかり、踏みとどまって戦おうとはしないでしょう。それともあなた方は、疑わしい者を味方につけるかわりに張耳どのを殺そうと主張なさるのか」

 

 一座は言葉を失い、しんとなった。

 

「せぬ」

 そう言ったのは漢王である。漢王は形式張った演説など苦手な男だったが、このときは滔々(とうとう)と自己の主張を話し始めた。

「張耳が国を追われたのは、決して張耳自身の責によるものではない。また、追われた張耳はあまたある国の中でわが漢を選び、身を寄せたもうた。罪を犯して逃亡してきたのならいざ知らず、非のない者が災難を逃れて身を寄せてきたのである。これを一時の連合のために殺すというのは、義に背く行為だと言わねばならない。ましてわしと張耳は旧知の間柄である。……わしは若い頃、食い詰めて張耳の客として世話になったことがあるのだ。恩を仇で返すわけにはいかぬ」

 

 将軍たちの間で、ではどうするのか、と論議になった。一座の中のひとりが、

「それでは大王は、趙は当てにしない、とのお気持ちですか」

と聞いた。漢王はしかし首を横に振り、

「いいや。陳余などは、善か悪かと問われれば悪かもしれぬ。しかしわしはそれでも味方に引き入れるくらいの度量は持ちたいと思っている。この中の誰かが言ったが、今のところ、兵は多いに越したことはない。大将軍の韓信にも悪人を使いこなすくらいの度量を期待したい」

 

 再び一座は、どうする、どうするの議論でざわついたが、張良のひと言で、議は決した。

「では、こうしましょう。罪人のなかで張耳どのによく似た者を探し、これを斬る。陳余などは、先ほど韓信大将軍が言った通り、状況が悪くなればすぐ裏切るでしょう。であれば先にこちらが騙しておいても差し支えなかろうと存じます」

 

 こうして漢は韓・魏・趙を味方に引き入れた。

 その結果、漢の軍勢はおよそ五十六万にふくれあがったのである。

 

――大軍は確かに敵を圧倒するもの……。しかし、ひとたび乱れれば統御のしようがない。乱れる前に決着をつけられればよいが……。

 

 大軍誕生に浮かれる漢の上層部のなかで、ひとり韓信は前途の多難さを予測し、ため息をついた。

 

 

 しかし、韓信は何もしなかったわけではない。

 前途に不安を感じるのであれば、今できる最大限の努力をしておこうと考えた彼は、軍の中から精鋭を選び出し、自分の直属とした。

 

 精鋭といっても単に武芸に達している者に限らず、職務に忠実な者、理解力に長けている者、また足が速いことだけが自慢の者もいれば、腕力だけが自慢の者もいた。

 韓信が重視したのは、武勇に長けた、百戦錬磨の者を選ぶことではなく、いざという時に自分の指示を疑うことなく実行できる者を選ぶことであった。固定観念が少なく、柔軟に物事を考えられる人物が最適で、この結果選ばれた者たちは必然的に若者が多かった。

 

 韓信はさらに人材を得ようと軍中を見回っていたときに、とびきり馬の扱いに慣れた若者を目にした。さらに馬上からの騎射がうまく、韓信が立ち会った演習の場では、どの位置から射ても寸分違わず同じ的に命中させてみせた。

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「実に巧みな射術だな。すばらしい。我が配下に彼を誘いたいものだ」

 韓信は思うだけでなく、実際にその若者に誘いの言葉をかけた。しかし、その若者はまともな返事をせず、会話が成り立たない。

 

――この者は唖(おし)か……?

 

 韓信がそう思った矢先、若者はやっと声を発した。

「私、……楼煩(ろうはん)です」

 

 楼煩とは万里の長城の外に居住する遊牧騎馬民族のことをさし、いわゆる「胡」と呼ばれていた異民族のひとつである。

 もともと楼煩は中央アジアの北部を拠点として遊牧生活を営んでいたが、匈奴に圧迫されて次第に東に移住するようになり、やがて中原諸国に流入するに至った。この時代には趙の北部に楼煩県という行政区分もあり、定住、漢化の始まった時期であったと考えられている。

 

 楼煩出身のその若者は、左手に騎射に適した独特の短弓を持ち、常に右手一本で馬を制御していた。

 馬上で矢を射るときには軽く右手に手綱を絡ませながら足だけで馬を御し、巧みに矢をつがえて放つ。その際に馬の足が止まることはまったく無く、それでいて命中の精度は比類がなかった。

 

「楼煩の若者。名をなんという?」

 

 その若者は軽い所作で馬から飛び降り、韓信の前に跪いて言った。

「カムジン、です」

 

 しかしその若者には姓がない上に、自分の名を記す文字も知らなかった。

 それでは諸事都合が悪かろうと考えた韓信は、その若者に中国風に「咖模津」という名を与えた。

 韓信は命名するにあたって特別な思い入れを込めたわけではなく、彼を配下に置く以上は名を記さねばならないこともあるだろうと思い、当て字をしただけである。読み方は「かむじん」のままであった。

 

 ところが当のカムジンはこれに感動し、韓信の手を取って喜びを表現したという。

 

 その後韓信はカムジンと話を続けたが、カムジンが必死に韓信の言葉を理解しようと努力する姿に感じ入り、あらためて配下に招くことを決意した。

 

 カムジンは趙から逃れてきた張耳の指揮下にあったが、韓信は要請して彼を引き抜くと、以後弟のように可愛がったという。

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